ズンドコベロンチョは、単なるナンセンスな
ギャグセンテンスではない。
ズンドコベロンチョは、
"それ"を知っているか知らないか、
によって、その人間の人間性を判断されたり、社会関係を結ぶ際の情報要件となる
ものなのだ。
言い換えるならば、
その社会内でのコミュニケーションの基盤
を構成するアイテム的なキーワードなのだ。
コミュニケーションアイテムという視点からすれば、それは、情報にはとどまらず、
手段・方法、そこに介在する物資、資源も、
広い意味では、含まれると云ってもいいかもしれない。
それは、一時性、恒久性を問わない。
成文化されるような法的規範ではないから、
スタティックに、個人を拘束するものではない。
しかし、明らかに、それを
"知らないでいることが許されない"
ような、絶大なる社会的期待もある。
それに、反する行為振る舞いが露見すればどうなるかというと、
「社会的専制」というパワーが発生し、
世論・SNS・企業マスメディアなどから、
バッシングの標的となる。
そうして、現代社会は、どういう方向性を
持っているかといえば、
「秘密主義」と「秘密暴露」のいたちごっこ世界
というかたちをとる。
To be continued...
