1月29日
川越市庁舎で父の戸籍を調べてきた。
結論から言うと父は平成30年に死亡していた。
死亡したのは平成30年×月×日
【届出人】の欄には「同居者 太田光代」
と記載されている。
(ちなみに太田光代は今パッと思いついた仮名)
両親はわたしの記憶している限りほとんど同居をしていないが
別居していても、父は母と約束をつけて定期的にわたしだけを迎えに来て、動物園やら遊園地やらに遊びに連れて行ってくれた。
わたしがレストランで注文した食事をほとんど食べなくても、どんなにわがままな事ばかりしても
決して大きな声を出したり怒ったりすることはなかった。
たった一度だけ、運転中に車のバックミラーをふざけて動かして怒られたことがあるが、わたしが泣き出すと「怒ってごめんね」と頭を撫でてくれた。
(当然怒るに決まってるし、今のわたしがそんなことされたら撫でてなんてやらない…)
そんな気の小さく優しい父親だった。
保育園の年長くらいの時、おそらく離婚してからは父と会うことは全く無くなったが
小学校3年生くらいの時、ある日下校中に父が道端でわたしを待ち伏せしていて、家の前まで話しながら一緒に歩いたことがあった。
「何色が好き?お父さんは○○ちゃんにクリスマスも誕生日もなにも買ってあげられてないから、こんどプレゼントを送るね。」
そうして数日後、家にオレンジ色の子ども服が届いた。
少なくとも父はわたしを可愛がってくれて、会いたがってくれていた。
たった一人のわが子に最後に会えたのが
亡くなる15年近く前、通学路のたった数十分だけだった。
そしてわたしが今と同じように実家でのほほんと暮らしている間に、父親は死んだ。
たった3年ほど前のことだ。
そんなことを考えようとするとだめになってしまいそうだ。
なぜ両親の結婚生活は破綻してしまったのか。
母の言う「嘘つきで、お金を全く出してくれない」人だったというのは本当なのか。
今はもう知る術がなくなってしまった。
父の住所がわかったら手紙を書いて、仕事のことや趣味のことを報告しようと思っていた。
そしてコロナが落ち着いたら会いに行こう、ファミレスかな、食事代はどっちが払うべきかな?なんて想像を膨らませていた。
死んでいる可能性も考えていないわけではなかったが。
「同居者 太田光代」
そうか、父は人生の最期に同居していた人がいたのか。
父にもう会えないのなら
せめてその太田光代っていう
父の最期を知る人から話を聞けないだろうか。
うちの古い電話帳に書かれている、父の実家に連絡をしたらいいのか。
まさか母には相談できないし。
今後どうするかはもう少しよく考えたい。