俺は確率論が嫌いや。

なぜなら、確率論は確率論でしかないから。

仮に、明日死ぬ確率を考えてみて欲しい。あなたは何%の確率で死ぬと思う?





答えはない。

大抵の人は0~0.5%ぐらいを想像すると思う。まぁ、年齢にもよるけど、実際には20才男子で1/10000000ぐらい。つまり日本では1日に一人20才の若者が死んでる。ほんで、この1/10000000っていうのは宝くじにあたる確率とほとんど一緒。


宝くじ当たること願うより明日死なないことを祈る方が余っ程合理的であるのは間違いない。





けど、この確率って言うのに俺は異議を唱えたい。俺はいつもこう考える。サイコロの6の目が100回続くと。

つまり俺が言いたいのは確率は全て1/2ということ。明日、死ぬか生きるか、6の目が100回続くか続かないかそれだけ。だから、0%と100%以外は全くもって意味の無い無機物な数字に過ぎない。




この理論を人生において考えてほしい。

自分の人生は自分にとって「幸福」なのか「不幸」なのか。そんなこと考えたことある人は少なくないと思うが、答えはすぐ出る。

もちろん答えは「ない」。

けど俺の理論で考えれば、生きている上で「幸福」な出来事と「不幸」な出来事の割合は五分五分。つまり確率は人生皆平等であると言える。どれだけ幸福な出来事を幸福だと感じ、不幸な出来事を不幸だと感じないのかによって自分の人生への捉え方が変わってくる。

結局全て、「やるか、やらないか」「なるか、ならないか」だけである。

俺はみんなに幸福な人生を送ってほしい。
そして俺は、誰よりも幸福な人生を送りたい。ただそれだけの話。