ある日、十数年ぶりに親友から手紙が届いた。

お互い社会人となり、多忙なことや、引越ししたりと疎遠になっていた。

だか、年賀状のやり取りは欠かすことがなく、結婚したこと、子供ができたこと、彼の近況は確認できていた。

いや、そのつもりだっただけなのかも知れない。

珍しくというより、彼から初めて手紙をもらった。

ほほえましい娘さんとの写真。内容は、幼い子供の自慢話に始まり、子供の将来を心配した悩み事が綴られていた。

少し不思議な内容であったが、私は、とくに気に病むこともなく、彼の幸せそうな写真の様子に安堵感さえ覚えた。

それから数週間経ち、突然、彼の奥さんから手紙が届いた。

それは彼の訃報を知らせる手紙だった。

彼が、私に手紙を出した数日後、彼は家族にさえ別れを告げぬまま、呆気なくこの世を去ってしまったらしい。

奥さんも、あまりのショックのために体調を崩し、私に知らせることが遅くなってしまったとの謝りの言葉が書かれていた。

駄目な私も、頑張っている私も知っている他人が一人いなくなってしまったのだ。

真の友は得難い。なにより宝と言えよう。

たわいもないことで笑いあえる友達なんか、簡単にできたりしない。

彼は、私に友達のなんたるかを最後に教えてくれたのかも知れない。

あらためて友を大切にしようと思った。

掛け替えのない、大切な大切な友達に出会えたことを忘れてはいけない。

新たな出会いを自ら求める勇気。
でも新しい友をたくさんたくさん作くっていこう。

友を育むなかにこそ、親友の大切さを知る答えがあるのだろう。


友を思い、友に感謝して

人の成長を止めるものはなにか。

それは様々だと思う。

人それぞれが生まれてきた境遇や、育った環境によっても違うだろう。

しかし誰にでも共通するものがある。

一つは愚痴である。
愚痴は心の闇であり、心をどんどん縮小させてしまう。やがて闇が心を飲み込んでいくのだ。

文句や嫌味。嫉みやひがみ、それにそねみも同類である。

それらに心を支配されない者などいないだろう。
しかし、支配されたままではいけない。

知ることだ。知ることが闇を遠ざけていくのだ。

では何を知るのか。
それは、愚痴をはじめとするそれらが、心の闇の正体であることを知るのだ。

それらは、人の心に普遍的に存在するが故に、消し去ることは難しい。

だが恐れることはない。

愚痴やそれらが心から噴き出そうとすことは、生きている証でもあり、人間である証にほかならないからだ。

ただ、心の闇に飲み込まれてはいけない。

つねに心の闇と向き合うのだ。心の闇と向き合うことで、闇の支配を消し去っていける。

それを絶対に忘れてはいけない。

それはある意味幸せなことかも知れない。

世の中を見れば、気象異常や特質した事件、事故が絶えない。

人の心もどんどん腐敗し、崩壊している。

こんな世の中だからこそ、家族、友達、仲間の存在がとても大切なんだ。

真の絆を築くことは容易ではない。しかい破壊は一瞬でできてしまう。

まずは、絆を求めることからはじめよう。
はじめなければ何も変わらない。

地道に、長い時間がかかろうとも、絆を求め行くのだ。
求め行くその先に、決して闇はないと信じるから。
そして、絆を求めるその心には、すでに一粒の絆の種が蒔かれているんだよ。