日頃より当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
私事ですが、この度、とある“大勝負”に出ることになりました。
自身の勉強に専念しようと思っています。
そのため、当面の間、ブログの更新を控えることにします。
お許しください。
身勝手なお願いであることは重々承知しておりますが、
何卒ご容赦のほど、お願い申し上げます。
自身の成長の為の勉強です。
その勉強に専念するため、しばしのお別れにはなりますが、
目途がつき次第、また再開する予定です。
恐縮ではございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
すべての生まれてくるものは滅びる。
ビルは滅びる。
町も、人も。
ヒット曲も、ヒット小説も、ヒット映画も、
ヒット芸術も、有名人も、親戚も、友人も、妹も、
息子も、娘も、その家系も。
みんな300年後は忘れ去られる。
土になる。
人間は死ぬが、歴史も死ぬ。
宇宙も死ぬ。
全て滅ぶなら、まっしぐらにこの世というものを満喫するしかない。
僕らは「生」以前のことを知らない。
「死」以降も知らない。
中間にある「この世」というたった100年しか滞在できない宙ぶらりんな世界で、
モラルだの、
生き様だの、
正義だなんて言ってるが、
生以前、死以降の本質なんて、何も知らないんだ。
「愛」なんて言葉の中途半端な大きさの箱舟に乗ってどこへ行くのか。
世界の言葉なんて、たったここ数万年くらい。
日本の言葉なんて、たったの何千年続くかどうか。
言葉が生まれる以前はどうだったんだ?
大昔は真っ暗だった。
宇宙しかない。
そこにあるのは、もっと無数の言葉の「本質」。
言葉ほどわかりやすくまとめられていない、
言葉ほどひとくくりに断定しない、
不思議な意味たち。
無数の意味たちが、人間には見えない世界でうごめいている。
うつ病という病気が、現代にはある。
でも、うつ病という病名のない頃の暗い表情の人たちは、ただの暗いやつ。
うつ病という病名をもらったせいで、病人になった。
本当はうつ病なんかないかもしれない。
病名をもらった途端、病気を抱えた気分で、もっと憂鬱になった。
安心もしたし、病人にもなった。
言葉のせいで病気になった。
それが現代だ。
言葉のない世界で、人間の知らない意味が、うようよしている。
まだ生まれていない未解決の言葉が、宇宙にうようよしている。
宇宙の根源的な言葉がまだ無数にあって、まだまだ全然自由じゃない現代の言葉。
今ある言葉だけを使って、人や自然や宇宙を理解するなんて、狂気の沙汰だ。
顕微鏡で見えるウイルスよりも小さい、生きている浮遊物。
ぐらぐらとうごめいている、意味の微生物。
宇宙に漂う無数の言葉をもっと発見したい。
ビルは滅びる。
町も、人も。
ヒット曲も、ヒット小説も、ヒット映画も、
ヒット芸術も、有名人も、親戚も、友人も、妹も、
息子も、娘も、その家系も。
みんな300年後は忘れ去られる。
土になる。
人間は死ぬが、歴史も死ぬ。
宇宙も死ぬ。
全て滅ぶなら、まっしぐらにこの世というものを満喫するしかない。
僕らは「生」以前のことを知らない。
「死」以降も知らない。
中間にある「この世」というたった100年しか滞在できない宙ぶらりんな世界で、
モラルだの、
生き様だの、
正義だなんて言ってるが、
生以前、死以降の本質なんて、何も知らないんだ。
「愛」なんて言葉の中途半端な大きさの箱舟に乗ってどこへ行くのか。
世界の言葉なんて、たったここ数万年くらい。
日本の言葉なんて、たったの何千年続くかどうか。
言葉が生まれる以前はどうだったんだ?
大昔は真っ暗だった。
宇宙しかない。
そこにあるのは、もっと無数の言葉の「本質」。
言葉ほどわかりやすくまとめられていない、
言葉ほどひとくくりに断定しない、
不思議な意味たち。
無数の意味たちが、人間には見えない世界でうごめいている。
うつ病という病気が、現代にはある。
でも、うつ病という病名のない頃の暗い表情の人たちは、ただの暗いやつ。
うつ病という病名をもらったせいで、病人になった。
本当はうつ病なんかないかもしれない。
病名をもらった途端、病気を抱えた気分で、もっと憂鬱になった。
安心もしたし、病人にもなった。
言葉のせいで病気になった。
それが現代だ。
言葉のない世界で、人間の知らない意味が、うようよしている。
まだ生まれていない未解決の言葉が、宇宙にうようよしている。
宇宙の根源的な言葉がまだ無数にあって、まだまだ全然自由じゃない現代の言葉。
今ある言葉だけを使って、人や自然や宇宙を理解するなんて、狂気の沙汰だ。
顕微鏡で見えるウイルスよりも小さい、生きている浮遊物。
ぐらぐらとうごめいている、意味の微生物。
宇宙に漂う無数の言葉をもっと発見したい。
人は正しいことを主張する動機については、あまり反省しない。
自分の主張している考えが正しいことに気をとられているからだ。
なぜ人はそんなに正しいことを主張するのか?
それは、相手を批判することで、自我価値の防衛をしているから。
すでに、自我価値は傷ついている。
そこで人を批判することで、崩壊する自我価値を必死になって防衛している。
批判は、最後の防衛ラインなのだ。
防衛的価値観とは、本当にそのことを信じているのではなく、崩壊する自我価値を守るために必死で意図的に信じる価値のこと。
例えば、こういう人だ。
本当は政治家になって権力を得たい。
しかし、親への反発から学者になる。
そこで「権力は人間の堕落」と言い、そして「家族を大切にすることこそ最高の価値」と主張する。
この「家族の愛が最高の価値」という価値観が、防衛的価値だ。
そう心の底で信じているわけではなく、そう信じなければ自我価値が維持できない。
こういう人は、
「なんで自分はあんな人がそんなに気になるのだろう?」
「今までの人生は、なぜつらかった」
「どこがおかしかった」と、考えない。
防衛する人は、失恋しても「なぜこの恋愛は破綻したか?」と考えない。
防衛する人は「自分がなぜ苦しんでおり、なぜ心の平安を見つけることができないのか?」を考えない。
「なぜ?」と考えることは、防衛の反対。
「なぜ?」と考えることで、「意識領域の拡大」が起こる。
周囲の世界からの刺激に対する反応ではなく、
自分の内から出てくる疑問を大切にする。
それが、自分の信念になる。
「あいつが悔しいから見返してやる」とかいう反応ではなく、
「私はこう生きる」という心の姿勢。
この心の姿勢が、生きがいのある人生をつくる。
自分の主張している考えが正しいことに気をとられているからだ。
なぜ人はそんなに正しいことを主張するのか?
それは、相手を批判することで、自我価値の防衛をしているから。
すでに、自我価値は傷ついている。
そこで人を批判することで、崩壊する自我価値を必死になって防衛している。
批判は、最後の防衛ラインなのだ。
防衛的価値観とは、本当にそのことを信じているのではなく、崩壊する自我価値を守るために必死で意図的に信じる価値のこと。
例えば、こういう人だ。
本当は政治家になって権力を得たい。
しかし、親への反発から学者になる。
そこで「権力は人間の堕落」と言い、そして「家族を大切にすることこそ最高の価値」と主張する。
この「家族の愛が最高の価値」という価値観が、防衛的価値だ。
そう心の底で信じているわけではなく、そう信じなければ自我価値が維持できない。
こういう人は、
「なんで自分はあんな人がそんなに気になるのだろう?」
「今までの人生は、なぜつらかった」
「どこがおかしかった」と、考えない。
防衛する人は、失恋しても「なぜこの恋愛は破綻したか?」と考えない。
防衛する人は「自分がなぜ苦しんでおり、なぜ心の平安を見つけることができないのか?」を考えない。
「なぜ?」と考えることは、防衛の反対。
「なぜ?」と考えることで、「意識領域の拡大」が起こる。
周囲の世界からの刺激に対する反応ではなく、
自分の内から出てくる疑問を大切にする。
それが、自分の信念になる。
「あいつが悔しいから見返してやる」とかいう反応ではなく、
「私はこう生きる」という心の姿勢。
この心の姿勢が、生きがいのある人生をつくる。