狂い咲きフライデーナイト☆

狂い咲きフライデーナイト☆

私は今、南の一つ星を見上げて誓った。「ブログを書こう」と。

まつたろうのブログに来ていただいて、感謝申し上げます。

月が沈めば、日は昇る。
苦しい夜も明けていく。

でも忘れないで、その夜を。
朝の化粧はつくれても、夜の寝顔はつくれない。

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宜しくお願い致します。

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日頃より当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

私事ですが、この度、とある“大勝負”に出ることになりました。
自身の勉強に専念しようと思っています。

そのため、当面の間、ブログの更新を控えることにします。
お許しください。

身勝手なお願いであることは重々承知しておりますが、
何卒ご容赦のほど、お願い申し上げます。

自身の成長の為の勉強です。
その勉強に専念するため、しばしのお別れにはなりますが、
目途がつき次第、また再開する予定です。

恐縮ではございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

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すべての生まれてくるものは滅びる。

ビルは滅びる。
町も、人も。
ヒット曲も、ヒット小説も、ヒット映画も、
ヒット芸術も、有名人も、親戚も、友人も、妹も、
息子も、娘も、その家系も。
みんな300年後は忘れ去られる。
土になる。

人間は死ぬが、歴史も死ぬ。
宇宙も死ぬ。
全て滅ぶなら、まっしぐらにこの世というものを満喫するしかない。

僕らは「生」以前のことを知らない。
「死」以降も知らない。
中間にある「この世」というたった100年しか滞在できない宙ぶらりんな世界で、
モラルだの、
生き様だの、
正義だなんて言ってるが、
生以前、死以降の本質なんて、何も知らないんだ。

「愛」なんて言葉の中途半端な大きさの箱舟に乗ってどこへ行くのか。
世界の言葉なんて、たったここ数万年くらい。
日本の言葉なんて、たったの何千年続くかどうか。
言葉が生まれる以前はどうだったんだ?

大昔は真っ暗だった。
宇宙しかない。
そこにあるのは、もっと無数の言葉の「本質」。
言葉ほどわかりやすくまとめられていない、
言葉ほどひとくくりに断定しない、
不思議な意味たち。
無数の意味たちが、人間には見えない世界でうごめいている。


うつ病という病気が、現代にはある。
でも、うつ病という病名のない頃の暗い表情の人たちは、ただの暗いやつ。
うつ病という病名をもらったせいで、病人になった。
本当はうつ病なんかないかもしれない。
病名をもらった途端、病気を抱えた気分で、もっと憂鬱になった。
安心もしたし、病人にもなった。
言葉のせいで病気になった。
それが現代だ。
言葉のない世界で、人間の知らない意味が、うようよしている。
まだ生まれていない未解決の言葉が、宇宙にうようよしている。

宇宙の根源的な言葉がまだ無数にあって、まだまだ全然自由じゃない現代の言葉。
今ある言葉だけを使って、人や自然や宇宙を理解するなんて、狂気の沙汰だ。

顕微鏡で見えるウイルスよりも小さい、生きている浮遊物。
ぐらぐらとうごめいている、意味の微生物。
宇宙に漂う無数の言葉をもっと発見したい。

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人は正しいことを主張する動機については、あまり反省しない。
自分の主張している考えが正しいことに気をとられているからだ。

なぜ人はそんなに正しいことを主張するのか?

それは、相手を批判することで、自我価値の防衛をしているから。


すでに、自我価値は傷ついている。
そこで人を批判することで、崩壊する自我価値を必死になって防衛している。
批判は、最後の防衛ラインなのだ。

防衛的価値観とは、本当にそのことを信じているのではなく、崩壊する自我価値を守るために必死で意図的に信じる価値のこと。

例えば、こういう人だ。
本当は政治家になって権力を得たい。
しかし、親への反発から学者になる。
そこで「権力は人間の堕落」と言い、そして「家族を大切にすることこそ最高の価値」と主張する。

この「家族の愛が最高の価値」という価値観が、防衛的価値だ。
そう心の底で信じているわけではなく、そう信じなければ自我価値が維持できない。

こういう人は、
「なんで自分はあんな人がそんなに気になるのだろう?」
「今までの人生は、なぜつらかった」
「どこがおかしかった」と、考えない。

防衛する人は、失恋しても「なぜこの恋愛は破綻したか?」と考えない。
防衛する人は「自分がなぜ苦しんでおり、なぜ心の平安を見つけることができないのか?」を考えない。

「なぜ?」と考えることは、防衛の反対。

「なぜ?」と考えることで、「意識領域の拡大」が起こる。


周囲の世界からの刺激に対する反応ではなく、
自分の内から出てくる疑問を大切にする。
それが、自分の信念になる。

「あいつが悔しいから見返してやる」とかいう反応ではなく、
「私はこう生きる」という心の姿勢。

この心の姿勢が、生きがいのある人生をつくる。


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