1997年10月26日夜、米カリフォルニア州サンディエゴで、全米を震撼させる事件が起こった。スーザン・ダイアン・ユーバンクスという女は4歳から14歳までの自分の子どもを拳銃で撃ち殺した。スーザン自身も自分の腹部を撃った為、病院に搬送された。長男ブランドン (14) 、次男オースティン (7) 、三男ブラハム (6)は即死、四男マシュー (4)は発見された当初は息があったため、母親とともに救急搬送されたが、後に死亡した。事件現場にいたスーザンの甥は難を逃れた。
事件の当日、スーザンは同棲していたボーイフレンドであったレネ・ドドソンと外出してスポーツバアでアメリカンフットボール観戦しながら、長時間にわたり酒を飲み続けた。そして、精神安定剤も服用したことから、彼女は精神的に錯乱し、ドドソンと帰宅する車内で口論となった。こうしたことが度々あったので、ドドソンは彼女に愛想を尽かし「お前とは終わりだ。出て行く」と告げた。別れの言葉を聞いたスーザンは怒り狂い、帰宅直後に彼の車のタイヤをナイフで切り裂きパンクさせた。
身の危険を感じたドドソンは警察に通報し、警官の立会いのもと、荷物をまとめてスーザンの家を出た。彼が家を出る際、スーザンが「子どもを殺してやる」と呪文のように呟いているところを見たことから、ドドソンは4人の子どもの父親のひとりであるエリック・ユーバンクスに電話を架け「スーザンの精神状態がとにかくヤバイ。子どもたちが危険だから気をつけろ」と警告している。ドドソン警告を受け、心配になったエリックも警察に通報。事情を説明し「様子を見て来て欲しい」と要請した。
エリックの要請を受け、駆けつけた警官はスーザンが余りにヒステリックに泣き叫んでいたので、尋常でない事態であることを察し、急いで家に飛び込んだ。その警官らが見た光景は部屋に広がる血だまりの海のなかに、息絶えて横たわる3人の子どもと、頭を撃たれて瀕死状態だった幼児マシュー、腹から血を流して助けを求める必死のスーザンだった。虫の息だった末っ子のマシューと腹部を撃たれたスーザンは病院に救急搬送された。その後、マシューは死亡し、スーザンは回復している。
検察官はボーイフレンドのドドソン証言から「スーザンが自分を捨てた男たちへの復讐のために、息子たちの頭を次々と撃ち、殺した」と主張した。「愛する人を失うと苦しみを、奴らも味わうがいい!」と叫んだスーザンの言葉に恐怖を感じたというドドソンの証言に、陪審員は彼女が有罪とし、裁判官は死刑判決を下した。自分の腹を撃った理由について、スーザンは沈黙していたが、死刑判決を受けた後「子どもたちのことは心から愛していたが、心中したマシだと思った」と述べている。
スーザンの弁護士は当時、彼女が鬱状態だったこと、飲酒しており精神状態が最悪だったこと、アル中毒の親に育てられたことなどの理由に減刑を求めた。だが、検察側は「スーザンが自分の腹部を撃ったのは、あわよくば第三者に襲われたと見せかけようとしたからである。本当に心中しようと思ったのなら、子どもたちと同じように自分の頭を撃ったはずだ」と反論した。裁判官も、まるで処刑するように我が子4人を次々と殺した罪は、死刑以外では償えないとスーザンの訴えを退けた。
検察官の主張は至極当然であり、スーザンが子どもは必ず致死に至る頭を撃っておきながら、自分は助かる可能性が高い腹部を撃っていることは大きな疑念が残る。しかも、死刑判決が下されてから急に言い訳を始めるあたり、どう考えても明らかに死刑を回避するための行動であろう。自分の子ども4人も殺しておながら、まったく許し難いというほかない。スーザン1999年8月、第一級殺人罪で死刑判決が下され、現在もカリフォルニア州の刑務所の死刑囚監房に収監されている。
スーザンは親がアルコール中毒という悲惨な家庭に生まれた。シリアルキラーたちの親がアル中毒者ではあることは多いが、このスーザンも正にそうであった。そして、33歳にしてすでに4人の子供がおり、しかもその子供たちは父親が違うという話だから、平穏無事な人生を送って来た言い難いだろう。しかしながら、本当に子供を愛しているのなら、男に振られた程度で腹いせに子供を殺すわけはない。当然ながらスーザンにも恋愛する権利はあるが、その為に子供を犠牲にしていい訳はない。
スーザンは裁判で「虐待を受けた子どもの30%は自分が親になったときに我が子を虐待してしまう」と主張している。だが、外からは見えない家のなかで起こっているということ、どんなに虐待されても、見捨てられることを恐れて、耐えてしまう子どもが多いことから、全ての児童虐待事件を把握するのは非常に難しい。親がストレスのはけ口として、我が子の虐待に走ってしまうケースも非常に多いとされている児童虐待、今回紹介したような鬼母は今後も数多出てくるだろうと懸念されている。
