日本書紀、古事記の言い伝えと気象学
日本書紀と古事記の一部には現代科学で考証すべき話があります。
気象予報士として考えてみます。
日本書紀に、景行天皇が熊襲征伐に向かった折、現在の熊本県と鹿児島県にまたがる八代海で海に浮かぶ不思議な光の列を見た記録があります。今でも旧暦8月1日(新暦では9月14日頃)に良く見られます。
哲学館(現在の東洋大学)を創設した仏教哲学者の井上円了は妖怪博士とも呼ばれていましたが、次のように書いています。
「一火が分かれて両火となり、両火がさらに分かれて数点になり、あるいはまた一火となり、一方にありて滅するかと思えば他方にありて現れ、高きものは翔がごとく、低きものは走るがごとく、その出没する間は数里の長さに及ぶも、だれありてその所在を確かむることができず、これを確かめんと欲してその火のある所に行けば、たちまち消えて見えなくなり、そのなんたるかを知るものがない」『迷信解』
不知火
夜の漁
さて、この火のもとは漁による漁火で間違いはないでしょう。では、なぜこんなに横に長く見えるのでしょう?
船が横一直線に沢山並んだのでしょうか?漁師さんの話では何艘も横になって漁はしないと言うことです。
蜃気楼には上位蜃気楼、下位蜃気楼、横蜃気楼があります。
上位蜃気楼は下の大気が低温で、上の大気が高温の時に遠くの景色や物体が浮いて見えます。これは光は気温の低い方へ曲がるためです。富山湾などで良く見られます。下位蜃気楼はこの逆で、下の大気が高温で、上の大気が低温の時に見られます。
夏のアスファルトで見られる逃げ水が代表です。横蜃気楼は左右の大気の気温差が大きいと見られます。一つの物体が左右に沢山見えます。不知火現象はこの横蜃気楼が原因と思われます。更に弱い風が吹いているとドンドン広がって行きます。
今でも不知火を見に多くの観光客が集まります。空気は色んな現象を見せてくれますね。
さて、次の話題です。
古事記では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、日本書紀では猿田彦命と表記される神様が出てきます。
古事記、日本書紀とも猿田彦が「国初のみぎり、天孫をこの国土にご啓行になられた」とあります。
天孫降臨の際に道案内をしたと言うことでしょうか?猿田彦の体型は現在の長さに換算すると体長12.6m、背の丈2.1mで
鼻の長さ1.2mと記されています。これは何を意味しているのでしょうか?
日本の海岸で海に突き出た場所を「~の鼻」と言います。
鹿児島県には佐多岬、愛媛県には佐田岬があります。
昔は航海術も未熟で、船も貧弱だったので陸地の近くを通らざるを得なかったでしょう。どちらの岬も船で海を渡るとき、危険な場所です。大事なのは灯りで陸地の場所を教える事です。猿田彦が道案内をした言うのは、猿田彦自身が篝火(かがりび)だったのではないでしょうか。猿田彦の口と尻は明るく光っていて、目は酸漿(ほうずき)のように赤く輝いていたと書かれています。
佐多岬、佐田岬の語源は猿田彦命から来ているのかもしれません。
佐多岬(鹿児島県)
佐田岬(愛媛県)
今回、不知火現象と、佐多岬・佐田岬について古事記、日本書紀の記述を考証してきましたが、まだまだ比較すべき事は
あるのかもしれません。