逃げるは恥だが役に立つ
よく、「逃げるな」という言葉を聞く。逃げるとはなんなのか。災害時には「逃げろ」というのになぜ、場面が違うと逃げるな と、怒られてしまうのだろうか。先日、親友と話をした。彼女は、ピアノ教室の先生をしている。ピアノ教室というと、初心者から、コンクール・プロを目指す者が集まる場所で、先生としても入賞させるべく指導するという印象が少なからずある。彼女は以前こそコンクール入賞を目指す生徒さんを受け入れていたしそのために彼女自身が先生について指導法を勉強したりしていたという。だが、今は入賞を目指す生徒さんには別の教室を紹介しているとのこと。そして彼女は言った。「逃げ、なんよね」と。わたしはその話を聞いて彼女の選択に対して「攻め」だと思った。コンクール入賞を目指す生徒さんを受け入れて、入賞実績を上げれば、もっと生徒さんが増え、教室も盛り上がって、もっともっと有名な教室になるだろう。だが、それをしない。あえてしないという選択は、逃げではなく攻めなのではないだろうか。自分から、排除して、道を狭めていく。逃げではなく、戦略的な攻めだ。彼女の話を聞いてから、そうか、自分も逃げではなく攻めと思えば良いのではないか。そう思うことができた。自分の生きる道を狭めていく。逃げるのではなく。攻める。誰が何と言おうと攻めだ。逃げだと罵るやつには、言わせておけば良い。