般若心経の物語
観音菩薩は真理を悟る修行につとめるよかある真実に辿り着いた。その真実とは私たちを構成するあらゆるものは「空(実体がないこと)」であるということである。
そして、この気づきによって観音菩薩は全ての苦しみから解放されたのである。
"シャーリプトラよ…
形あるものは実体がないことと。
そしていわゆる
一定な形を作ること。
それが"空"と示している。
心身な事で有ろうかでも空であり…
存在しない心身ともにすべては空であり…"
実体は存在しない。つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、心といったものも存在しないし感覚も存在しないのである。"苦しみや、苦しみの原因も消えることはない。観音菩薩は真理を悟る修行につとめるなかで、ある真実に辿り着いた。その真実とは私たちを構成するあらゆるものは「空(実体がないこと)」であるということである。そして、この気づきによって観音菩薩は全ての苦しみから解放されたのである。シャーリプトラよ、形あるものは実体がないことと同じであり、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在する。そして形あるものは即ち実体無きものであり、実体がないことが即ち形あるものとなっているのである。我々の何かを感じたり、欲したりする心の動きもまた空なのである。シャーリプトラよ、この世のあらゆる物事は空なのであるから、生ずることなく滅することもなく、汚れることも汚れないこともなく、増えもせず減りもすることはない。心身ともにすべては空であり、実体は存在しない。つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、心といったものも存在しないのである。そして、これらの感覚が存在しないのであるからこれを受け取ることではたらく意識や思考も存在しない。見て感じるということ迷うことも迷いがなくなることもない。また老いて死ぬこともない…老いて死ぬということがなくなることない
苦しみ…苦しみの原因となる迷いも消え去ることもないし…その方法もない。そして知ることも得ることもない。 だから…得ることがないことを理解し、"悟りを開く者は物事の本質"に依るため、心に妨げ(固定的観念、物事に執着する気持ち、色眼鏡)となるものがない。
心に妨げがないために、恐れることもない。誤った考え方から距離を置くことで、平穏な心でいることができる。
仏様は物事の本質を知ることにように…
この上ない完全なる悟りを得ている。
したがって、知るべきである。
""仏の智慧とは、"偉大な力を持つ真言"であり、偉大な悟りの真言であり、最上の真言であり、唯一無二の真言であり、全ての苦しみを取り除き、偽りなく真実であるということを。 そしてに仏の智慧、"教えである真言''を伝えようでないか!"'"
"ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼじそーわかー "
(往きて往きて、彼岸に往けるもの、彼岸に辿り着きし僧侶、悟りの境地へ)
これが仏様の教えである
私も仏様の教えを守りたい。