長妻帰ったとか……。
もうね……いや……。
「戦術兵器」と「戦略兵器」の違いについてお勉強しましょう☆


評価:もっと頑張りましょう☆
衆議院議員選挙はいつですか?

早く解散して欲しい(;_;)
吐き気を催すほどひどい人事だわ……まぁ、ミンスとその他の連立政党自体に吐き気を抱かざるを得ない奴しかいないけど……。


岡田さん、どうして国を売る人って顔が鬼のようになるんでしょうねぇ?
行政を刷新して無駄遣いを減らすとか何とか言う前に、ミンスの議員が他国へ貢いでいないかどうかを調べる「賣國刷新合同会議室」でも設けたら?

おいらからミンスへ捧げる言葉。


「率先垂範」
今日、初めて以前からみたいみたいと思っていた『官僚たちの夏』を観ました。
個人的感想をいえば、めっちゃおもしろかったです。最初から観たかったなぁ……。でも、仕事が忙しくて観られなかったんだよなぁ……。


まぁ、「官僚」というものに対して、臣民の個人的考えを言えば、官僚は悪い奴でも敵でもないと思っています。昔は「官僚=悪」でしたけれど、よくよく考察してみると、彼らがいないと国家って運営できないんですよね。

今度、官僚に対する臣民観を綴りたいと思います。

 「占守島の戦い」


 さて、どれだけの方がこの戦いをご存知だろうか。

 以下は、士魂会事務局編の史料から引用です。


━─━─━─━─━─


【占守島の戦い】


 日本が終戦を迎えた昭和20年8月15日から3日経った8月18日に、天皇の詔勅に従い武装解除を進めていた、千島列島最北端の『占守島』の日本軍に対し、ソ連軍が突然上陸し、攻撃を仕掛けてきた戦いのことです。

 日本軍は1度解除準備を進めていた武装を改めて行い、峻烈な激戦の末にソ連軍を水際に追いつめ、まさに殲滅しようとしたときに「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行すべし」との方面軍命令があり、日本軍は命令に従い、軍使の派遣・停戦交渉・武器引渡交渉の末、再度の武装解除を行い、戦いは21日に終結し、ソ連の南下は24日以降になりました。

 ソ連は日本のポツダム宣言受諾、降伏を知りながら、なぜ終戦後3日も経ってから戦争を仕掛けてきたのでしょうか?それは当時のソ連の首相であったスターリンの領土拡張方針に基づく北海道北部の占領計画にあったと思われます。「占守島は1日で占領する」と豪語していたソ連を占守島の日本軍は一週間も足止めし、ソ連軍の南下を遅らせ、北海道北部の占領計画を阻止した結果にもつながったのです。

 わたしたちは、家族と国を思う純粋な心と信念をもって、終戦3日後に戦って逝った占守島の若者達のご冥福を祈るとともに、彼らのことを決して忘れることはできません。



【占守島の戦いの経過】


 「幌莚(パラムシル)海峡周辺地区及び占守島要域確保」を命じられていた第五方面軍第九十一師団は、数倍の米軍を想定し、かの敵に強靭・執拗な戦闘を挑むべく、陸海軍合わせて2万5千名の配備を行っていました。

 占守島の電波状態は極めて悪く、8月15日の天皇陛下の終戦の詔勅を多くの部隊では聞くことができませんでしたが、翌16日に師団参謀立会いの下に終戦が伝えられ、17日から日本軍は武装解除の準備に取り掛かっていました。戦車部隊でも車載銃砲や無線機の取り外し、爆砕と車両の海没の準備まで進めていました。

 しかし8月18日の未明に、対岸のロパトカ岬のソ連軍から長射程銃砲の砲撃が始まり、国端崎の監視所からも「海上にエンジン音聞ゆ」と至急の連絡も入ってきました。降伏に関する軍使ならば夜中に来ることはありません。「これは危ない」と判断した日本軍は、島一面が濃霧に包まれた中、急ぎ戦闘配備を整えました。その間にも「敵輸送団らしきものを発見」「敵上陸用舟艇を発見」「敵上陸、兵力数千人」と相次いで急報が入ってきました。



【米軍ではなく、ソ連軍が竹田浜に上陸】


 敵の上陸を察知した日本軍は国端崎の砲兵、竹田岬と小泊崎の速射砲・大隊砲が協力して反撃し、また陸海軍航空機の決死の反撃及び銃砲の活躍などによりソ連軍の指揮系統は大混乱に陥りました。しかしソ連軍の一部は艦砲射撃の支援を受けながら18日の6時頃には四嶺山に進出して、激しい戦闘が展開されました。


 日本軍は戦車連隊の参加もあり、次第に敵ソ連軍を圧迫し、海岸付近に釘付けにして、一歩も内陸に前進させず、一挙にソ連軍を殲滅する体制を整えました。しかしこの戦闘のなかで戦車連隊長、同連隊指揮班長をはじめとして各中隊長以下多くの戦死者も出ました。そのころに「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行」との第五方面軍からの命令が届き、占守島の第九十一師団は、ソ連軍の攻撃はまだ続いていましたが軍使派遣、停戦交渉と進め、8月21日に漸(ようや)く戦いは終わりました。その後、武装解除が23日と24日に行われました。

 この激闘で一説には日本軍の死者は700名~800名に及び、ソ連軍は3000名以上の死傷者を出したと伝えられ、ロシア研究所のボリス・スラヴィンスキーの著書によれば日本側死傷者は1018名、ソ連側死傷者は1567名となっています。ソ連政府機関紙のイズベスチアは「占守島の戦いは満洲、朝鮮における戦闘よりもはるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連人民にとって悲しみの日である」と述べているのです。


(引用終わり)



封殺された近現代史と貶められた大東亞戰爭‐知っていますか、この国が亡国という艱難に喘いでいた時代を‐

 今日は終戦の詔がラジオ放送によって流れた日です。多くの方は「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉を聞いたことがあると思いますが、先帝陛下は、詔書で当時の臣民に何を語ったのでしょうか。保守系の皆さんは既にご存知かと思いますが、改めてここで振り返ってみようと思います。どうせ貸すメディアは取り上げないでしょうし、昨日は相も変わらず、反戦アニメ『ホタルの墓』を再々々々々放送していましたしねw

 ちなみに、最近思うことは、反戦番組の構成が露骨になってきたように思います。私が幼少期の頃は、ジワジワと間接的に反戦を唱えるものが多いような気がしましたが、最近は観るに耐えないほど、サヨク思想が露骨です。


 それはさておき、早速どうぞ。




【詔書】(下に現代語訳を載せています)


 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ

(御名御璽)

 昭和二十年八月十四日





 『余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。

 余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。

 そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。

 そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。

 余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。

 余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。

 そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。


現代語訳は「『終戦の詔勅』 」より



【おまけ】

絶対正義GHQ (←クリックするモナー(´∀`))


【現代語訳】