なんか急に降りてきた言葉を書き連ねます。↓
お義父さんの生き様について急に何か降りてきた
自分を信じる道を貫く
ということに関して、私の周りでお義父さんの右に出るものはいないと思うのだ。
だって、死を選んだんだもの。
自然と共に生きる、自然を大切にする、自然療法がお義父さんの信じる道だったのだと思う。
だから火力発電所に反対して電気のお風呂も電子レンジもクーラーも最後まで入れなかったのだし
西洋医学を受けるくらいなら死を選んだんだ
とうか、自然療法を根っこから信じていたのだと思う。信じていたから出来た選択なのだろう。
その姿勢は本当にすごい。
傍目から見れば、おかしいのだと思う。
手術受けていれば今も生きて子どもたちを可愛がってくれていたかなと残念に思うし、お義母さんを未亡人にし、寂しい思いもさせただろうし、生前家族にも迷惑をたくさんかけてきたんじゃないかと思える。
命を無駄にしたようにも見えるし、クーラー入れないことに何の意味がある、家族の健康はどう考えてるのか、とか、子どもも喘息でお父さんが薬飲ませなくて入院したらしい。
でもきっとそうじゃないんだ。
お父さんはお父さんの運命に従ったんだ。
それだけなんだ。
きっとそれ以外なかったし、本当の意味で人の迷惑にはなってない(人の運命を妨害してない)。だから、いいのだ。
表面上、人に迷惑かけようが、何の意味もなかろうが、そんなことはどうだっていいことなんだ。
人が信じる道を、運命を突き進む、それしかないんだ。
何のために産まれてきたか
それを経験するためなんだ。
私も、怯まず、恐れず、自分の信じる道を突き進もう。
その結果がどうであっても、すべての責任を負いたい。
批判も受けたい。
そこまでやって、初めて自分の血肉になるのだろう。
人に迷惑かけるだろう。
何の意味もないだろう。
笑われるだろう。
役になんてたたないだろう。
でも、自分を生きよう。
自分のソースが、私を選んでここにいるのだから。
それだけは、紛れも無い事実なのだから。
その証拠に、人の役に立つために、ひとを喜ばせる為に生きたって、虚しさや孤独、死にたい気持ちがどんどん増していっただけじゃない。
それが答えなんだよ。
今私は、どんなに暴言吐く酷い母親でも、体弱くてお義母さんに頼りっぱなしでも、借金までこさえてても、それでも、自分自身であるという実感だけで、人の為に生きてた何百倍も幸せを感じてる。
私のこの状況って幸せってやつだよね?
じゃなくて
幸せだなあ
って感じるんだ。
それでいい。
自分が幸せなら、それでいいし、それしか、ない。
お父さんは、最期まで幸せそうだった。
死を目前にして尚、満ち足りてみえた。
そしてお葬式に参列されていた大勢の方々は、小学生からお年寄りまで泣いていた。
すごい人だったなと思う。
何故急にこんな言葉たちが降りてきたのだろうと考えてみたら、もうすぐ七回忌なのだ。
お義父さんからのエールなのかもしれない。
自分の信じる道を突き進めと。