私は、物心ついた時から、生きづらさを感じていました。

 

一昨年、40歳の時に、初めての精神科Kメンタルクリニックで、A先生から、生きづらさは、発達障害と生育環境に由来していると言われました。

 

その時は、まだ状態が落ち着いていなくて「落ち着いてきたら、ストラテラで治療しよう。あれは高いから、自立支援の診断書を書くね」と言われて【広汎性発達障害】の診断書を書いてもらい、その時は、自立支援で通院していました。

 

週に一度、木曜日の夕方に通院していて。

まもなく、A先生に陽性転移が始まり、依存できる人と良好な関係が築けているときには、落ち着いて生活ができるから、仕事も普通にできました。

 

A先生も「○○さんには、ストラテラは効かないと思うよ。確かに発達に偏りはある。でも生きづらさの根本はそこじゃないから(機能不全家族で育ったこと)。○○さんには、認知行動療法がいいと思う」と言われて。

 

認知行動療法を勉強して、診察時にアドバイスをもらいながら、頑張っていた最中に、一時の衝動的な感情で、アクティングアウトしてしまい、A先生との治療関係も、当時の仕事も失いました。

 

 

その後、ドクターショッピングを繰り返し、今は「近場の薬だけくれるメンタルクリニック」に、気が向いたときだけ通院というか、薬をもらいにいっています。

(自立支援は、Kメンタルクリニックで切れてしまって、もうずっと3割負担です)

 

えっと、何が言いたいのかというと…。

 

グレーゾーンよりは、黒に近いと思います。

 

確かに、発達の偏りはあるんです。

それは、はっきりと自分でも、自覚しています。

得意なことと、不得意なことの差が大きいです。

 

でも「障害」では、ないんですよね、自分の場合。

「障害」とは、どうしても、思えないんです。

困るのは「聴覚&視覚過敏」だけれど、工夫すれば全然普通に生活できるし、障害とか関係なく、誰だって、一つや二つは困りごとぐらい、あると思うし。

 

私は、発達障害では、生きづらさを感じてはいません。

(生育環境から由来する生きづらさは、感じています。これについては、現在、もがきながら生きやすくなる道を模索中です)

 

自分には向いてないこと、苦手なことには、不適応をおこすと思うけれど、逆に、向いていることや得意なことには、健常者(という言い方もなんだかあれですが)よりも強いです。

 

その「向いている・向いてない」「得意・不得意」がはっきりと自覚できるようになって「自分に向いていて、居心地の良い環境」に身を置くことができている、今。

 

苦手なことを「申し訳ないです~それちょっと苦手なんです~そのかわり○○だったら、バリバリできます~」のように、他人に見せられるようになったこと。

 

もちろん、それが許される環境と、○○という、人より優れた能力があるからなんですけれど。

 

世の中、お金だけが全てではないけれど。

お金で幸せは買えないけれど。

 

お金があれば、ないよりは、人生の選択肢も広がるし、世の中、やっぱり、お金で解決できることも、多くなりました。

 

私は、得意な部分で、しっかりとお金を増やし、苦手なことは、お金で解決できれば…と思っています。

(お金さえ出せば、何やっても許される…とか、そんなのではないです)

 

ハッシュタグで、毎回、発達障害としているけれと、自分で「障害」とは思っていません。