町田市立国際版画美術館で開催中の『自然という書物　15～19世紀のナチュラルヒストリー＆アート』展の第２章第2節「キルヒャーの世界」　アタナシウス・キルヒャーの著作・図像も知ってはいたが実物ははじめて。私が気になったのは『ノアの箱舟』。ノアの方舟を描いた作品は数多くあるが、方舟をどう描くか、動物たちをどう描くのかいつも気になる。写本にも多く描かれたし、ミケランジェロはシスティーナの天井に描いている。ヤン・ブリューゲルにも作品がある。そこでキルヒャーである。

　手元の『キルヒャーの世界図鑑』(旧版のほう)のジョスリン・ゴドウィン「奇想者の生涯」によれば、彼は1602年フルダに近い小村で生まれ、少年のころからフルダにあったイエズス会系の学校で過程をこなし1618年には神学校に修練士として入学。(1628年に司祭に任命)、その後てヴュルツブルクの大学で教鞭をとるようになったが30年戦争でグスタフ・アドルフの軍隊が侵入すると、ヴュルツブルクを去って、アヴィニョンのイエズス会士の元に身を寄せた後、1635年にローマに移り、死ぬまでそこに居住。枢機卿の保護を受けて学問研究に励み多くの著作を残した。その一つが『ノアの方舟』(1675年刊行)。

彼は方舟の寸法が人体の比率に対応していることを発見したという。

Athanasii Kircheri e Soc. Jesu Arca Noe, in tres libros digesta 1675

このノアの方舟、まるで現代の団地のようではないか。しかも内部の図解もある。

狭いスペースにペアで押し込められた動物団地。たしかに聖書の文言を読んで、実際のノアの方舟を考えればこのようになるかもしれないが、それを本当に書き表そうとしたその意思に驚く。徹底して視覚化しようとした情熱。

『キルヒャーの世界図鑑』によれば、この書物はスペイン王カルロス二世が12歳の時に献呈されているという。いわば子ども向けの『絵入りお伽話』。この方舟は正典通り三層で、それぞれ中央に廊下があり、一番上層は鳥と人間、中層は食料などの貯蔵庫。

下層は四足獣で船底は蛇。

個々の動物の絵も載っているがなかなかリアル。

象とラクダ

サイ　鹿　馬など

蛇　蛇

虫(両生類含む)の中で乗船を許されたのは蛇だけだったという。その他の『虫』は正常に交尾して生息するものではないからだそう。

　キルヒャーについて。

彼がローマにたどり着くまでには数々のエピソードがあり、元のゴドウィンの文はずっと面白いのだが、私は全く違うところに引っ掛かった。実はこのところずっとリーメンシュナイダーに関連して、ドイツの歴史の本を読んでいるので、聖ボニファティウスゆかりの長い歴史を持つフルダという地名や、同じく古くから司教座があったヴュルツブルクの大学で教えていたというその来歴に興味を持った。

　ヴュルツブルクは、彫刻家リーメンシュナイダーがそこに工房を構えて生活した町。数々の傑作を生みだし市長としても市政に参与していたが、1525年の農民戦争の時に農民側についたために、敗北後命そのものは助かったものの、政治的生命そして彫刻家としての生命も事実上絶たれた。

　キルヒャーもまた宗教改革の騒乱・戦争のために(リーメンシュナイダーの時とはかなり状況も異なるが)、ドイツから逃れざるを得なかったわけだが、それがあればこそ彼の膨大な著作の数々も生まれたのではないだろうか。この大動乱は人々の生活に多大の影響を及ぼしたことを改めて感じる。小村に生まれた少年がローマにまで辿りついた道のり、その人物の元に世界各地に伝道に赴いたイエズス会伝道師の情報が集められたこと、さらに聖書やヒエログリフ、エジプト学、音楽にまで幅広い分野にわたって研究し著した著作の数々。買ってはあるが『普遍音楽』もまだ読んでいない…。

キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢

Amazon（アマゾン）

1,524〜7,337円

キルヒャーのノアの方舟