ミュンヘンのバイエルン国立美術館のリーメンシュナイダー作品「磔刑のキリストのもとの二つのグループ」について。

イーリス・カルデン・ローゼンフェルトの著作『リーメンシュナイダーとその工房』では次のように述べられていた。

 

「ヴィープリングの祭壇壁(※通称)」の聖櫃のヨハネの衣装のプリントされた金襴のアップリケにおいては、割れた葉柄を持つ葉の形をした型が用いられているが、この彩色画家のマルティン・シュヴァルツがローテンブルク・オプ・デア・タウバーのドミニコ会修道女修道院教会の聖母マリア祭壇のいくつかの壁面の金襴模様を作る際にもそれを使用していたことは明らかである。」(p29-30)という一節。以前から何度も読んでいたのだが、どうにもピンとこなかった。絵画にも彫刻にも同じ型を使ったアップリケが使用されているということは分かったが、木造の彫刻にどうやってアップリケを付けるのか? イメージが湧かなかった。アップリケというと思い浮かぶのは、布地の上に別の小さな布(例えば花の形)を縫い付けて模様とするものである。

 ※金襴模様とは、刺繍のような浮かし模様の絹織物のうち金や銀の糸で織った豪華な模様。ブロケード

 

 昨年のドイツ旅行で、ニュルンベルクのゲルマン博物館で購入した『Tilman Riemenschneider Die werke im Bayerischen Nationalmuseum 』(2017)を、半年以上たってようやく読み始めて、やっとこのアップリケの意味が分かった。マルティン・シュヴァルツは「型を使って型押しされた錫箔に色を付け、金メッキを施してから地に固定する」(p59)技法を使っていた。同じ型を聖母マリアの祭壇画とこの彫像の彩色に使っていたのである。

 

ヨハネと悲しむ女たちの彫像に使われたもの。ヨハネの金色のマントの下、緑がかった衣装の上に葉の模様がつけられている。


 
一方、マルティン・シュヴァルツが描いたマリアの祭壇画の画像が本には載せられていた。この作品は現在なんとゲルマン博物館にあるという。博物館のウェブサイトを検索すると確かにその祭壇画があった。
三王礼拝 1485-1490
 

聖母の死

 

この画像では、同じ型を使ったアップリケと目で見て確認するのは難しいが、これを探し当てた研究者がいたのだろう。初めてマルティン・シュヴァルツの絵画を画像で見ることができた。しかし、私は昨年の旅行でルマン博物館に行って、リーメンシュナイダーやシュトスの彫刻を見ているのだ。ここにシュヴァルツの絵画があると知っていたならば、必ず見に行ったのに!

 マルティン・シュヴァルツは画家としてどういうレベルか評価は私にはできないけれど、きれいな色で彩色された祭壇画である。リーメンシュナイダーの彫刻の彩色画家として名を残したことになる。そして彫刻がローテンブルクのために制作されたということの根拠でもある。シュヴァルツは、1485年以来、ローテンブルクに住み、聖フランシスコ会修道院の院長であって、おそらくそこに工房を持っていた。このアップリケを作った型はこの工房から出ることはなかったであろう。

 

 そしてもう一つ重要なことが、『Tilman Riemenschneider Die werke im Bayerischen Nationalmuseum 』(2017)に書いてあった。

 「このリーメンシュナイダーの祭壇がローテンブルクに起源をもつということは、カトリック教会で定期的に行われていたように、磔刑のグループが明らかに再塗装されなかったという事実とも一致する。プロテスタントとなったフランケン地方の地域では、そのような介入は多くの芸術作品には行われなかった。1544年にローテンブルクで宗教改革が導入された後、祭壇のシュラインはほとんど開かれなくなり、多くの作品が単に脇に置かれるか、少なくとも何もされなかったためである。」(p60-61 概訳筆者)

 

ローテンブルクがプロテスタントになったことが、結果としてオリジナルを損なわないことになったというのが、なんとも皮肉であると思う。カトリックのままであったなら、再塗装されてきれいなままになっていただろうが、貴重なオリジナルの彩色は失われていたかもしれないのだ。

誰も扉を開けずに、いわば放置されたままの方が、オリジナルの保存のためには良かったのだという事実。

 ともあれ、500年経っても、もとの美しい色を失っていないということは、さまざまな偶然の積み重ねでもあった。