2009年の秋、10月頃
シンガポールに仕事で住んでいた父から
Skype前に集合がかかり
ママが白血病になったと知らされた

急性前骨髄性白血病

緊急帰国するから迎えに来てと

病名も衝撃だったけど
パパが泣いてたのも衝撃

私は大学生
妹は高校生

泣く妹に、泣くなと怒る私

連絡から数日後飛び立ちました
2人で久しぶりに行ったシンガポールは
つまらないシンガポールから
ローカルシンガポールになった

とりあえず、迎えに行ったんだけど
病状が酷すぎて飛行機に乗れなかったママ
まさかのドクターストップで帰国ならず

妹と私はそのままシンガポールに滞在
することになりました

大学の試験は、事情を話して全てパス
ノートは友人にお願いしていました

毎日、シンガポールの家と病院の行き来。
毎日、病院。
毎日、お昼ご飯は病院の食堂。

めちゃローカル

幸い、
シンガポールは医療が進んでる国だった。
ガン専用のNCUの棟に入院だった。
気候が一定で過ごしやすい国だった。
私たちは海外経験者だったので、家族全員が英語しゃべれた。
ママ本人が医療関係者だった。
シンガポールの人たちが温かくて陽気だった。
母方の祖母が元気で超フットワーク軽かった。←シンガポールにきてくれました
たくさん助けてくれる人がいた。

たーーーーくさんの、幸運が重なって
今があります

医療英語をあんなに聞いて、通訳して
ノートとったのは後にも先にも
この期間だけです
めちゃ頭良くなった気分だった

その後、雇った日本人のプロの通訳さんは
2日で通訳の仕事を辞退。
通訳の仕事を辞退して、その日から
ママのお友達としてずっとそばにいてくれました。

とても心強いママ友。
私たちにもすごくよくしてくれて
今でも交流がありますが
めっちゃ感謝してます

そしてうちのばぁちゃんは、
初海外在住にもかかわらず、
1人でバスにも電車にも乗って
ぷわーっと夕飯の買い出しに出かけるツワモノ
私たちが帰国してからも、1人で
病院やスーパーやお家など行き来してた。
英語は結局しゃべれないけど、
おばぁちゃん、強し。まじ尊敬。

パパも一番側にいて、一番辛かったと思う
必死にお仕事頑張ってくれてた。
辛さを拭うかのように、、って私は思った
落ち着いてからこっそり、
何が一番辛い?って聞いたら
ママに「もう死にたい」って言われたことだって
それをずっと1人で抱えてたパパ
そんなこと言うなよ〜って笑ったけど
めちゃ泣いてたんだよ、絶対

妹もそうだと思うけど
私も、これを機に人生観というか、
ちょっと気持ちが変わったかな。
今は親に頼っちゃダメだって!
高校生の妹はもっと複雑だったと思うけど。
弱音もそんなにはかなくなった。
もともとはかないけど。←笑
まぁ、多少強くはなったと思います。

そして昨日、発覚して6年以上。
治療が終わって5年経過。
先月の骨髄検査の結果、「完治」とは
言えないものの
「治癒」したと吉報が届きました

みんなの優しさ
色んな幸運の巡り合わせに、
本当に感謝してます。

突然の出来事で、私も極一部の友人にしか
状況を離さず飛び立った為
仲良い友人は何で私が突然いなくなったのか
わからずじまいの人もいます

未だに、理由を知らないみんながいるのは
理由を知ってる子が、話さずにいてくれたから。

理由を知りたいはずなのに、
仲いいのに話されずにモヤモヤしてたみんなは
私が話を出すまで触れずにいてくれたのは、
みんなの優しさがあったからと思います。

私は、ママが元気になるためには
私が元気を届けなくちゃと思ってたけど

私が元気でいるためには
みんなと楽しく笑ってることが必要でした

それを叶えてくれたみんな
本当に本当に感謝してます


ご祈祷にいった、お寺で学んだのは
一つ一つに感謝すること。
ありがとうございますとお礼を言うこと。
ここにもお礼を言いに行かなきゃです。

この一大事件は、
元々仲の良かった私の家族の絆を
より一層、強く深くした出来事だった

愛してる、大好き、ありがとう、ごめんね

大切な人はいついなくなるか分からないから
思ったこと、その時に伝えた方がいいよ


MAHALO

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