ミュージカルの劇団を辞めてから、
私はご縁あって、半年ほどの英国滞在の機会を得ます。
英国では、たくさんの舞台を見ました。
印象的だったのは、女性が石を運んで作ったという海辺の野外劇場。
夏のバカンスの期間には、不揃いな石の積みあがった劇場がいっぱいになり
波の音と、夕暮れの明かりが照明となって、そこで繰り広げられる祝祭劇を
家族連れとか、老若男女がモヒート片手に楽しんでいた姿。
同じく、夏に近所の芝生の公園に野外劇場が出来、そこでやっぱりモヒート片手に
ハムレットを観たこと。
やっぱり、近所の人が普通に楽しんでいた。
そして、私はやっぱりご縁あって、ケンブリッジ大学の中の小さな講堂で
歌のミニコンサートをさせていただいたのでした。
その後、スコットランドのフィンドホーンでも、
やっぱり歌を歌った。日本語で歌ったけれど(ちなみに歌ったのは、キャッツとレミゼラブルとジブリだ)
みんなとても喜んでくれた。
求められて、喜んでいただくために
歌を歌う、という私の原点はこの時期に基礎があるのだと思う。
日本に帰国後、たまたまご縁あって、
淡路島の伊弉諾神宮で、神楽の歌い手をつとめたり(もともとやるはずだった方の体調不良が原因で代役がまわってきた)
有名な作家さんの講演で「あわの歌」を聴衆に披露したり
ご縁あって、ドイツの教会や老人ホームで日本とドイツをつなぐコンサートをさせていただいたり。
気づいたら、私は歌う人になっていた。
オリジナルソングもないし
歌を通して伝えたい自分の哲学があるわけではない。
演劇をしていた頃は「聞いていると疲れる」と言われる悪声だったのです。
自分の発声の悪いところとたくさん向き合って
よい声を私なりに(正統派の教育ではないかもしれないけれど)追い求め磨いてきました。
今では、良い声、とか癒される、という感想もいただけるようになりましたが
声は弱くて、ちょっとストレスがかかるとすぐ出なくなります。
それでも、いつまで歌えるかわからないから
声が出る間は、歌いたいし演じたい。
そして、聞きたい、観たい
と言ってくださる方がいる限り
頑張り続けたい。
そんな思いで、今日も生きています。
このプロフィールには書いていませんが
某有名音楽プロデューサーの前で突然歌ったことも(何の仕事にもつながらなかったけれど)
歌って、というリクエストに応えて数百万円の仕事をいただいたことも。
私は、紅白やCDやオリジナルソングを歌う歌手ではないけれど、
歌うことはいつも私の人生と共にあったのだなと
改めて思ったり。
これからも少しずつ、ブログも続けていきますね。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
あなたに今日も幸せがありますように。