もうタイトルの通りなんですが、先日後輩が私に、「私、自分らしく生きていきたいんですよね、人と同じことをするのも、人と被るのも嫌いなんです」と言ってきました。
それだけなら「ああ、若者だなあ。」で済まされたのですが、なんと後輩氏、貸与された制服を完全スルーで着用せず、色の似た私服(!?)で出勤するという大型新人っぷりを披露。
こ、後輩と言ってもひとつ歳が違うだけなのに、とんでもない出力のジェネレーションギャップを浴びせられてしまいました。
そして若者特有なのか、いえ、若者というと主語が大きくなってしまいますので・・・"そういう"若者特有と言った方がいいかもしれませんが、間違いを素直に受け止める能力が絶望的に育っていません。
私もその世代なのでなんとなく気持ちはわかるといったところなのですが、無気力感といいますか、「善と悪」「決めつけ」「常識」「正義」みたいな言葉に対して得体の知れない嫌悪感があるために、「あなたは間違っていますよ」と言われても即反省することができず、「間違いというのはあなたが勝手に決めた事ですよね、あなたにとっては間違いでも、私は違います。私は間違ったことはしていません。」というスタンスで堂々巡りになります。
つまり私の後輩氏に「貸与された制服で勤務してくでさい」と伝えると、「デザインが好きじゃありません」とか「裾上げが自分でできません」とか、「私服の方が動きやすいです」なんて返されてしまうわけで御座います。
私も個人的には、後輩氏のその無気力感と甘さに塗れた意見自体に実は賛成なのですが、私は上司と後輩の間で板挟みですし、会社の一員である限り監督責任から逃れることができませんので、後輩氏に対してなんとか指摘して、考えを変えてもらうことに努めなくてはならないのです・・・。
頑張るしかないというのが結論ですね。
石器時代の人間関係にも、こんな悩みはあったのでしょうか。
頭の硬いイメージのある明治大正昭和の日本ですが、そのころの若者はどういう意識を持って生きていたのでしょうか・・・。