今日もまた振り返り。。。



サイレントに入った時の喧嘩


本当にクダラナイことが原因で


何で?何に?彼は怒っていたのか全く分からず


未だに意味不明な部分が沢山あって



そんな中で私が気付いたこと




それは、喧嘩についての二人の価値観が

正反対だったってこと





私は


・仲がいいから喧嘩する

    

・喧嘩して、意見をぶつけ合って仲を深めていく


・小さな不満が積み重なって問題が大きくなる前に解決していく


喧嘩=関係を深めるためには必要なこと

と考えていました



不満を口にすることも

彼と末長く一緒にいるために必要なことだと考えてたから、


彼にもそうして欲しかったし

お互いに気持ちをぶつけることも必要だと思っていました



でも、彼は違っていました


・そもそも喧嘩することが嫌


・相手を嫌な気持ちにさせるようなことが良いことなワケがない


・怒ったり強い口調になることが嫌



という、喧嘩=悪





私の両親は日々喧嘩が絶えない夫婦でした


母を怒鳴る父


そんな両親の喧嘩はいつも私の幼心を悲しませていましたが、


でも、数時間後、次の日には何もなかったかのように仲の良い両親に戻っていて、、、


私はそんな光景を日々見て育ったからか


喧嘩も必要なこと、仕方ないこと、、、と


認識していた気がします




一方で、彼が望むのは


喧嘩にならない在り方、、、


相手を嫌な気持ちにさせないようにすることが愛情




彼の両親は離婚しており、


きっと離婚の際には両親の喧嘩や口論を目にしたり聞いていたのかもしれません


喧嘩が生み出すものは、最終的に悲しい結末であるという概念



喧嘩に対する捉え方の違い。。。




私達がサイレントに入る時になぜあんなに意見が食い違い、彼が感情的になったのか


喧嘩の原因に問題があったのではなく


喧嘩に対するイメージの違いが根本的な理由だったのでした




今になり冷静に振り返ると


どちらも間違えていないし


どちらの理由も正しい



自分達の生きてきた育ってきた環境の違いによって

喧嘩に対するイメージがこんなにも違い



自分のインナーチャイルドと

彼のインナーチャイルドが

ぶつかり合った結果だった





それに気付くためのサイレントだった



きっと私と彼の価値観の違いは他にもあって


でも、それには色々な過去や想いがあって



それに気付ければ

お互いに理解し合い、許し合い

受け入れ合えるのかもしれない





喧嘩をするよりも


違いに気付いて

違いを受け入れることの方が


大切なのかもしれない


それが私がサイレントから得た教訓