3月31日から3日間の東京の

宿は娘の部屋でした。


東京の桜、ちょうど見頃でした。



自宅に戻ると


こちらの桜もまた今が見頃



只今、リフレッシュ休暇中の主人。


私の仕事が休みの日、隠れ名所⁈の


桜を見たり、





怪しげな道に迷い込んだり




滝を眺めたり…







人がほとんどいないの山の中で


桜はゆったりと咲いていたし


鶯の鳴き声は完璧だし、


野鳥の会の人が喜びそうな色々な声も


聞こえたし、


脇を流れる水も澄んでいて…


自然の何もかもは


いつも通りの春を生きてました。



コロナ恐怖なんて無の世界


社会不安なんて関係ない世界








帰宅後


主人が何気なくつけたテレビ


いつものコマーシャルが流れてた


だけなのに、


不快で、不快でたまらなくなりました。




人工的な音と映像に


ふつふつ湧いてくる嫌悪感。


意思とは関係なく


一方的に入ってくる言葉と情報





離れたい


と思いました。




我が家にテレビは


リビングに一台あるだけなので、


私がリビングから離れて一時避難


しました。



そして食事時に、


テレビ消そう!


テレビ消して!


テレビ消せー


と、お願いして爆笑


当たり前だった夕餉のテレビを


消しました。




そしたらね、


湯気、お浸しをかむ音、お皿に


当たるお箸、ビール注ぐ音、泡の音


ジュージューする音、包丁の音…


意識したことのない音がよーく


聞こえて、


意識しなかった色がよーく


見えました。




生きてる実感




主人との会話も


他愛ない内容だけれど


相手の言葉をちゃんと拾って返す


感じ。




食事もよく噛んで


ゆっくり味わえます。






テレビを消してみて


聴こえた音、見えた光景



懐かしい当たり前の感覚





人間の私も自然の一部



そう思ったら、余分な力みが


抜けます。










いろんな騒動に関係なく


そこにあり続ける自然が


教えてくれたこと




その自然のあり方に気付けたのは


新型コロナのおかげかと。





当たり前が当たり前じゃなくなって


初めて見えてきた


もともとすぐそばにあった恵み。





自粛自粛って


何もできないわけじゃないもん。


半世紀生きてきた今気づかされたこと


せめて大切にしよう。






大きな力が


ここに帰れと教えてくれた


そんな気がしてなりません。



マスク外させてくれる瞬間の幸せ