昨夜帰省した主人と、山の奥の神社へ行ってみました。
以前、何度か主人に行こうと言われていたのに、
子どものことが優先順位一番だった私は、
そんなところ子どもは喜ばないし、
行きたがるわけないし!
と、右から左にスルーしてたなぁ。
子どもが喜ぶところ。
子どもにとって楽しいこと。
って、考えているようで、それは私が考える子どもの好みで、きっと子どもたちの気持ちとズレていたんだろうなぁと思う。
「俺が何度も誘ったのにね、へ〰︎」と、呆れて笑ってる主人。
そういう場所に行くって、なんだかご利益とか祈りとか、バチが当たるとか当たらないとか、考えてしまっていた。
でも、今は、昔の人が祈りを込めて建てたこんな小さな神社へ、行ってみたいなぁと、ただ行ってみたいなぁと、思う。
高い木を真下から見上げると、
上から「何をちいさいことを…!ハハハ」と笑われてるような
無病息災、受験合格、就職、娘の病気…いつの間にか、子どものことばかり祈っていた私の祈りは、自分勝手だった。
私の力及ばないことを、神さまに何とかしてもらおうって。
特に振り回される娘の拒食症に、神も仏もないじゃん!と、泣き叫んだことも何度もあった。
あ〰︎、でも、私が自分で振り回されてたのにだから、神さまも、とんだ八つ当たりをされてお困りだったと思う。
私も神さまも、子どもを何とかする必要はないんだろうな。そもそもどうにもできない。
子どもは、今までもこれからも自分でつまづいて、自分で立ち上がる。
まもなくのクリスマス。
きっと教会に行くけれど、
祈りはあの頃とは違う。
鳥居を、出ると、珍しい鹿の鳴き声が聞こえた。
(たぶん、鹿)