先日のブログで、娘の拒食症に対する主人のスタンスのことを書きましたが…

主人の娘に対する立ち位置は、今も変わりません。
それは息子も同じです。息子は娘が拒食症になり始めた頃に、大学の通学に二時間以上かかるということで、下車し始めたのですが、月に一度は帰宅していたので、娘の変化はよく知っていました。

ところが、当時の私は、その男組の言動に、イライラハラハラし、デリカシーのかけらもない( ̄∇ ̄)と思っていました。

私が、娘の地雷と思って避けているところをわざと⁈と思うほどピンポイントで命中させて踏んでくる二人。
でもそれでピリピリしていたのは、私でした。私がドキドキピリピリするのが、伝わって娘がビクビクする…そんな感じだったのかなと今思います。

私は娘の言葉をまともに受け止め、ぶれてフラフラになっていきましたが、2人はいつも同じ所に立っていたのです。拒食症を理解しようと努力した私は混乱していく一方。拒食症をちゃんと知ろうともしない2人は、娘が何を言おうと食べなかろうと動じない。
ちゃんと食べろ〰︎くらいは言うけど、私ほど切羽詰まらない。

そのことを、弟夫婦や友人に話した時に、私はてっきり私に同情してくれると思っていました。大変だね〜くらいは労ってくれるかと思っていました。

でも皆に、「Bちゃん(主人)と☆君(息子)は、娘のことを拒食症の★ちゃんとは見てないよね。20歳台の女の子、今は拒食症だけどっていうスタンスで、ずっといるんだよね」と言われました。弟夫婦には「大変なことにしてるのは、姉貴(私)だよ。★ちゃんに手を差し伸べておいて、苦しい辛いって、まるでコントやってる〰︎^o^^o^」と言われました。その時は私はその意味がわかりませんでした。でも、同じことを心屋さんの本にもブログにも書いてあったりして、ハッとしました。

それから我が家の男組の立ち位置、私には完全な真似はできなかったけど、少し納得できるようになりました。

男組の前提はずっと(娘は大丈夫)だった。
彼らの前提は、娘は、娘であり妹。その前に拒食症という形容詞をくっつけてなかった。
私の前提は、(娘は拒食症だから…)しかなくなっていた。


そしてこの頃、今迄の反対を少し始めました。私は私のこの前提を変えようと毎日自分に唱えています。

娘は大丈夫
私も大丈夫

もし娘が拒食症じゃなかったら、どうする?
母親として、同性として。どんなことを一緒にするか、どんなことを話すか。最近そんなことを自分の心に問うようになりました。

もう私にできる方法は他にないから。