黒歴史を全世界に無償提供するブログ

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長門有希は有機生命体ではない情報統合思念体が人間と交流するために作られた存在である。


長門有希以外にも対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースは存在している、作品にも長門を含めて4.5人登場した気がする。


長門以外のインターフェースがどういった人物だったか、朝倉涼子はクラスの中心的人物で周囲と良能な関係を築いていた。

黄緑江美里も朝倉涼子ほど人間的魅力を撒き散らす存在ではないが、一般的な対人関係を築ける人物であった。


長門有希のキャラクターはそれらに比べると非常に異彩である。


人間のコミュニケーションは言葉と態度と表情で表現される。


その前提の前では長門のコミュニケーションは欠陥だらけと断言できる。


もちろん、それが魅力の一部であるとは重々承知だが客観性も必要だ、彼女の話し方には抑揚が少なく、感情が籠もらない、また、相手の理解力を考慮しない難語をこれでもかと使用する。結局作中では笑ったり怒ったり感情を表現したことは一度もなかった。ある例外を除いて。


長門は人間とは比べ物にならない量の情報を扱える上位存在だ、端的に言って頭がいい。


その彼女が人間が人との関係を作るにあたり言葉と態度と表情がどれほど重要な意味を持つか知らないわけがない。


空間の情報を自分の思うままに自由にいじれる(書いてて意味不明)長門が自らの態度を矯正または変更できないとは思えない。


長門なら自分の性格を一般受けするような形に作り変えることなどワケないだろう。作中では世界自体を変えてしまうなどと、それ以上のこともしていたし、迂遠な方法であったが自分の性格を変更していた。


私は、長門が自分の性格をかえない理由を不器用だからと考えている。


人間の性格には論理的に理解できる部分と心から溢れたとしか思えない情緒がある。


長門は論理的に人間の感情を感じ取ることは可能だろう、またその上で取り繕うことも可能だろう。


笑顔で挨拶するとか、お茶を淹れてもらえばありがとうと返すとか、誰でもする人間関係を円滑にするコミュニケーションを長門もすればいいのだ。相手に自分をよく見せるために行動を取り繕うのは普通のことである。


しかし、これらのコミュニケーションは心から直接溢れた情緒ではないような気がする。


長門はそういった欺瞞的なことをしたくないのだろう。


長門は産まれて数年の無垢な存在でありながら、類稀な知性を有してる故に人間であれば深く考えずに行う人間関係を円滑にするためにするコミュニケーションを、そうであると理解してしまったがために現在のロボット地味た行動を取るのだろう。


長門は自分の情緒をゆっくり育てる方法で感情を理解しようとしているが、もしかしたら、子供のようにただ他人の行動を真似てみることをすれば案外すぐに、本当に人間の感情を理解することができるかもしれない。


どんな人間も他人を真似ることで自分のものにするのだから。



長門は幼女


終わり