数年ぶりにアメリカ東部のニュージャージ州に住む友人と電話で話した。

彼は2001年に起こった世界貿易センター同時多発事件の後マンハッタンダウダウンにあるアパートを処分して好きだったニューヨーク市を離れ、それ以降マンハッタン島に行くことはない。

事件当時、私は同市のクイーンズに住んでいた。同じネイバーに犠牲者の家族もいた。事件後何日たっても風向きによって煙の匂いがひどかった。当時の状況の詳細は次回にして、友人との会話に戻ろう。


(パレスチナの街の風景:AllAboutさんからお借りしました)


会話はパレスチナの話から始まった。

痛みと悔しさ,苛立ち,無力感を吐露してると、つい最近マンハッタンイーストサイド42丁目にあるグランドセントラル駅構内で"Never Again for Anyone"と書いた横断幕を持って抗議行動があったという。それもユダヤ人によるものだという。

Never Again と言う標語?はナチドイツ時代ホロコーストから生存した人が政治的,歴史的文脈で特別なニュアンスを含むものとして、また違う意味で広く使われるようになったという。今回その表現にfor anyone が付け加えられた。

つまり,虐殺は誰に対しても起こってはならないという、普遍的なメッセージだ。


イスラエルによる空爆をニューヨークに住むユダヤ人が抗議している意味を考える必要があるのでは…。

とりわけ主要メディアはハマスの攻撃は厳しく批判し、イスラエルの空爆は,論評なしでパレスチナの人々の悲惨な状況を伝えるにとどまっているだけ。

虐殺はなんびとにも起こってはならない。そのために無力な個が何ができるのかと言う課題が旧友との久しぶり会話からのしかかってきた。