国際社会と言語 レポート 武内将
言語による中心の周縁化について自分は時によって配慮が届き非常に良いと思う事がある中、逆に良くないと思う事もあります。それは身の周りにある全ての周縁化に良し悪しを感じています。これから幾つかの例を挙げる中の一つとして女性専用車両を挙げます。近年の電車を使用する女性の痴漢を未然に防ぐために、女性専用車両を設けている鉄道があります。表向きとしては、痴漢を未然に防ぐ事で女性の不安要素を排除していると思えますが、男性全員が痴漢を犯すという考えには至らないため、そういった思考がない男性からしたらただでさえ混んでしまう電車なのに更に車両が少なくなりより窮屈になってしまうと考えます。朝の時間は間違いなく通勤などで使用するのは男性の方が多いと考えるからです。なので、時間を区切って専用車両にするという設けは非常に良いと思います。痴漢というものはする人が自らの考えの元起こす行動なので女性専用車両を設けたのは結果として良かったのではないかと自分は思います。ただ通勤の時間はやましい気持ちがない男性の肩身が狭いなと感じます。なので男性への配慮にも気を配れるようになにかしらの策を練って考えるべきだと感じます。また禁煙社会化に伴う喫煙者の問題も自分は中心の同縁化の議題に入ると考えます。昔とは違い今は喫煙を嫌う人の方が多くなってきたと感じます。もちろん煙草は100害あって1利なし。間違いなく体に悪い事ですが、それを嗜好品として煙草を楽しむ方もいます。なので分煙という形は大いに有りだと考えます。煙草を嫌う人は禁煙スペースへ、煙草を吸いたい人は喫煙スペースへという設けはどちらにもストレスを与えないと感じています。ただ喫煙スペースの減少については自分は反対だと感じます。喫煙スペースを無くせば、自ずと吸う人も減るという浅はかな考えは良くないと思います。ルールを守る人もいれば、守れない人もいる。いくら路上喫煙が禁止になっていようと、『吸うところがないから仕方ない』となってしまって路上喫煙をしてしまう人がいては元も子もないと感じますし、スペースがあった時よりも街中が汚くなってしまうと考えるからです。現に東京国際大学でもその様な現象を目の当たりにしてます。喫煙できるところが無いなら誰も見えない場所、見つからない場所で吸えばいいと隠れて吸ってはその周辺に吸い殻が溜まる。そうなってしまっています。健康促進を目指しているといいますが、それに伴う大学側のリスクも少なくはないと思います。
なので自分はただ喫煙スペースを減らすのではなく、喫煙者向けへの禁煙ガイダンスや煙草がいかに体に悪影響を及ぼすかのセミナーなどを実施することで少なくなり、吸い殻のゴミも減るのではないかと考えます。また社会では、路上喫煙禁止という形を取るとするならば、ただ禁止にするのではなく、法律を定め、犯した人には反則金を要求するなど徹底した方が良いと考えます。
また話は変わりますが、障がいを患う方への人種差別も良くないと考えます。障がい者への侮辱的発言をしたり、どこかで一線を区切って小馬鹿にしてしまったりする人がいます。障がい者を患う方達は、その体に生まれたかったり、そうなりたくて生まれてきた訳ではありません。少なからず、普通の人間として生まれ、生きていきたかったという感情があると思います。そういった障壁がある中で真っ当に生きている人にそういった侮辱をするのは失礼だと考えます。むしろ障壁がある中で一生懸命生きるその人達へ敬意を払うべきだと思います。
なので自分はバリアフリーについてすごく感心を持っています。点字やスロープなど配慮が行き届いてると思います。障がいを患う方が生活しやすい様によく工夫されていると感じます。特に点字はものすごく工夫されていて、目の不自由な方でもどこになにがあるのかを知れる事が良いと思います。また電車にある車椅子専用場所が設けられていて、座椅子がなく、広いスペースがあります。そのスペースがあれば車椅子の方も楽にできるし、車椅子の方がいない時は広いスペースを有効に使えると思います。こういった素晴らしい面があるからこそ、一層侮辱したりするのを自分は嫌います。また似た様な問題として異国の人への差別も自分は良くないと考えます。肌の色や体の一部、言語が自分らと違うだけで隔てる事も少なくないです。それを誇りに思い生きている方に失礼だと感じます。自分は黒人差別を題材とした映画を見て、白人主義の人々が黒人を差別し殺してしまうことにすごく心が痛みました。ただ日本ではあまりそういった差別は余り見受けられないため良かったと思います。また日本では異国の人への配慮として、交通機関や飲食店でのメニューなどにも英語で記載してあるところをみたことがあり、とても素晴らしいと思いました。自分は差別を嫌うので不自由な方には自分が出来る範囲の心遣いをする様にしています。そして異国の方ともなるべく触れ合って、言語やカルチャーを学びたいと思っています。それが自らの刺激になるとも考えています。
また歴史にもその様な背景があり、調べたところヒトラーのナチズムも周縁化につながると感じました。「ナチス」や「ナチズム」は、国家社会主義ドイツ労働者党の蔑称であるナチから派生したものであり、支持者達を称したものてまあり、この言葉は日本では国家社会主義、国民社会主義、民族社会主義などという意味です。敵対する社会主義・共産主義陣営であるスターリンやコミンテルンは、ナチズムはイタリアのファシスト党のイデオロギー「ファシズム」の一種であると定義し、「ファシズム」と呼んでいます。この用法は戦後にいたっても行われています。
ユダヤ人迫害は、ヒトラーから始まったものではなく、モーセの時代から始まっていた事だそうです。一般的にユダヤ人が迫害される理由は次の4つだといわれる。
迫害をされてきた理由として以下のものがあがります。①キリスト教ではイエスをメシア(救世主)とする。しかし、ユダヤ教はイエスを救世主と認めない。そのためキリスト教社会からはじき出された。
②イエスを裏切ったのはユダヤ人のユダであった。そのためキリスト教徒から反感をもたれた。また、ユダヤ人が自分たちを神から選ばれた「選民」としていることも反感を持たれる理由となったといわれる。ただし、ユダヤ人の選民意識は反ユダヤ主義者によってことさら強調され、利用された面もある。実際のユダヤ人の選民意識はそれほどでもない。
③ユダヤ教の習慣が独特のものであり、しかも彼らが地域文化に同化しようとしなかったため、周囲の社会から浮いてしまった。
④土地を持たないユダヤ人が大切にしたのが、「教育」と「お金」。とくにお金にこだわることは卑しいことととされ、それがユダヤ人に対する偏見となった。現代においてこそ金融は花形の職業であるが、近代までは賎業とされた。シェークスピアのようなインテリでさえ、「ベニスの商人」のシャイロックのような描き方をしている。
⑤国内に不満があると、為政者はその不満を解消させるため矛先を反ユダヤに向け、ユダヤ人をスケープ・ゴート(身代わりの山羊)にした。ヒトラーはその典型である。
確かにこれを見て鵜呑みにしてしまう人がいるとおもいますが、でも共存するべきだと思います。意地をはるのは分かりますがどちらかが許さないと争いは終わらないし、平和にならないと考えるからです。
言語による中心の周縁化について自分は時によって配慮が届き非常に良いと思う事がある中、逆に良くないと思う事もあります。それは身の周りにある全ての周縁化に良し悪しを感じています。これから幾つかの例を挙げる中の一つとして女性専用車両を挙げます。近年の電車を使用する女性の痴漢を未然に防ぐために、女性専用車両を設けている鉄道があります。表向きとしては、痴漢を未然に防ぐ事で女性の不安要素を排除していると思えますが、男性全員が痴漢を犯すという考えには至らないため、そういった思考がない男性からしたらただでさえ混んでしまう電車なのに更に車両が少なくなりより窮屈になってしまうと考えます。朝の時間は間違いなく通勤などで使用するのは男性の方が多いと考えるからです。なので、時間を区切って専用車両にするという設けは非常に良いと思います。痴漢というものはする人が自らの考えの元起こす行動なので女性専用車両を設けたのは結果として良かったのではないかと自分は思います。ただ通勤の時間はやましい気持ちがない男性の肩身が狭いなと感じます。なので男性への配慮にも気を配れるようになにかしらの策を練って考えるべきだと感じます。また禁煙社会化に伴う喫煙者の問題も自分は中心の同縁化の議題に入ると考えます。昔とは違い今は喫煙を嫌う人の方が多くなってきたと感じます。もちろん煙草は100害あって1利なし。間違いなく体に悪い事ですが、それを嗜好品として煙草を楽しむ方もいます。なので分煙という形は大いに有りだと考えます。煙草を嫌う人は禁煙スペースへ、煙草を吸いたい人は喫煙スペースへという設けはどちらにもストレスを与えないと感じています。ただ喫煙スペースの減少については自分は反対だと感じます。喫煙スペースを無くせば、自ずと吸う人も減るという浅はかな考えは良くないと思います。ルールを守る人もいれば、守れない人もいる。いくら路上喫煙が禁止になっていようと、『吸うところがないから仕方ない』となってしまって路上喫煙をしてしまう人がいては元も子もないと感じますし、スペースがあった時よりも街中が汚くなってしまうと考えるからです。現に東京国際大学でもその様な現象を目の当たりにしてます。喫煙できるところが無いなら誰も見えない場所、見つからない場所で吸えばいいと隠れて吸ってはその周辺に吸い殻が溜まる。そうなってしまっています。健康促進を目指しているといいますが、それに伴う大学側のリスクも少なくはないと思います。
なので自分はただ喫煙スペースを減らすのではなく、喫煙者向けへの禁煙ガイダンスや煙草がいかに体に悪影響を及ぼすかのセミナーなどを実施することで少なくなり、吸い殻のゴミも減るのではないかと考えます。また社会では、路上喫煙禁止という形を取るとするならば、ただ禁止にするのではなく、法律を定め、犯した人には反則金を要求するなど徹底した方が良いと考えます。
また話は変わりますが、障がいを患う方への人種差別も良くないと考えます。障がい者への侮辱的発言をしたり、どこかで一線を区切って小馬鹿にしてしまったりする人がいます。障がい者を患う方達は、その体に生まれたかったり、そうなりたくて生まれてきた訳ではありません。少なからず、普通の人間として生まれ、生きていきたかったという感情があると思います。そういった障壁がある中で真っ当に生きている人にそういった侮辱をするのは失礼だと考えます。むしろ障壁がある中で一生懸命生きるその人達へ敬意を払うべきだと思います。
なので自分はバリアフリーについてすごく感心を持っています。点字やスロープなど配慮が行き届いてると思います。障がいを患う方が生活しやすい様によく工夫されていると感じます。特に点字はものすごく工夫されていて、目の不自由な方でもどこになにがあるのかを知れる事が良いと思います。また電車にある車椅子専用場所が設けられていて、座椅子がなく、広いスペースがあります。そのスペースがあれば車椅子の方も楽にできるし、車椅子の方がいない時は広いスペースを有効に使えると思います。こういった素晴らしい面があるからこそ、一層侮辱したりするのを自分は嫌います。また似た様な問題として異国の人への差別も自分は良くないと考えます。肌の色や体の一部、言語が自分らと違うだけで隔てる事も少なくないです。それを誇りに思い生きている方に失礼だと感じます。自分は黒人差別を題材とした映画を見て、白人主義の人々が黒人を差別し殺してしまうことにすごく心が痛みました。ただ日本ではあまりそういった差別は余り見受けられないため良かったと思います。また日本では異国の人への配慮として、交通機関や飲食店でのメニューなどにも英語で記載してあるところをみたことがあり、とても素晴らしいと思いました。自分は差別を嫌うので不自由な方には自分が出来る範囲の心遣いをする様にしています。そして異国の方ともなるべく触れ合って、言語やカルチャーを学びたいと思っています。それが自らの刺激になるとも考えています。
また歴史にもその様な背景があり、調べたところヒトラーのナチズムも周縁化につながると感じました。「ナチス」や「ナチズム」は、国家社会主義ドイツ労働者党の蔑称であるナチから派生したものであり、支持者達を称したものてまあり、この言葉は日本では国家社会主義、国民社会主義、民族社会主義などという意味です。敵対する社会主義・共産主義陣営であるスターリンやコミンテルンは、ナチズムはイタリアのファシスト党のイデオロギー「ファシズム」の一種であると定義し、「ファシズム」と呼んでいます。この用法は戦後にいたっても行われています。
ユダヤ人迫害は、ヒトラーから始まったものではなく、モーセの時代から始まっていた事だそうです。一般的にユダヤ人が迫害される理由は次の4つだといわれる。
迫害をされてきた理由として以下のものがあがります。①キリスト教ではイエスをメシア(救世主)とする。しかし、ユダヤ教はイエスを救世主と認めない。そのためキリスト教社会からはじき出された。
②イエスを裏切ったのはユダヤ人のユダであった。そのためキリスト教徒から反感をもたれた。また、ユダヤ人が自分たちを神から選ばれた「選民」としていることも反感を持たれる理由となったといわれる。ただし、ユダヤ人の選民意識は反ユダヤ主義者によってことさら強調され、利用された面もある。実際のユダヤ人の選民意識はそれほどでもない。
③ユダヤ教の習慣が独特のものであり、しかも彼らが地域文化に同化しようとしなかったため、周囲の社会から浮いてしまった。
④土地を持たないユダヤ人が大切にしたのが、「教育」と「お金」。とくにお金にこだわることは卑しいことととされ、それがユダヤ人に対する偏見となった。現代においてこそ金融は花形の職業であるが、近代までは賎業とされた。シェークスピアのようなインテリでさえ、「ベニスの商人」のシャイロックのような描き方をしている。
⑤国内に不満があると、為政者はその不満を解消させるため矛先を反ユダヤに向け、ユダヤ人をスケープ・ゴート(身代わりの山羊)にした。ヒトラーはその典型である。
確かにこれを見て鵜呑みにしてしまう人がいるとおもいますが、でも共存するべきだと思います。意地をはるのは分かりますがどちらかが許さないと争いは終わらないし、平和にならないと考えるからです。