犬が(人にとって都合の)悪いことをしたとき、トレーナーによっては「きちんと叱ってください」という方がいる。

 

「叱る」とは、相手の言動などを咎め、良い方向へ修正する教育的な意味合いがある。

「怒る」というのは感情の赴くままに不満を表す行為だ。「怒る」と「叱る」は似て非なるものである。

 

ここで持論展開なのだが、個人的には犬を「叱る」というのは少々ずれているように感じる。

 

上に申し上げた通り、「叱る」という行為には、結果として対象の相手の行動や思想が良い方向へ行くことだ。(まあこれも叱った者にとってだけ良い方向かもしれない)

 

さて、犬は「今」を生きる動物だ。犬だけではない。動物は「今」を生きている。過去を憂いて「あのときああしていれば」という後悔もしないし、「明日に備えて準備をしよう」という想像もしない。経験から予測を立てることはあるだろうが。

 

人間はしばしば叱られたことを感謝する。「あそこで母に叱られたからこそ今の自分がある。」というやつだ。たとえそれが少々暴力的であったとしても、本人がそう思えば叱られたことに相応の価値がある。

 

犬はどうか。「子犬のときにあれを叱られたから、今自分は立派な成犬になれた」と思うかどうかといわれたら、まあ「思っている」という意見の方はあまりいないのではないか。

 

怒鳴り声が怖かったから近づかない。殴られたから咬み返す。いずれも自分の身を守るためだ。

 

「でも母犬は子犬同士が遊んでいるときに叱っている。諫めている。」という意見もある。これも持論があるのだが、母犬は決して我が子を「叱っている」わけではないと思う。

 

母親が子供を守るのは、機能であり本能であり、その種を後世に繋げていくためだ。

 

子犬Aと子犬Bが遊んでいる。Aの動きが激しくなり、Bが例えば悲鳴を上げたとする。母親がうなり声をあげつつ、Aに威嚇を入れる。見ていた方は「母犬が子犬を教育している」とみる。

 

しかしそれはどうだろうか。母犬がAに対してとった行動は、しばしば犬の世界に見られる防御性の威嚇に見える。見知らぬ人間が体を触ろうとしたとき。見知らぬ犬が自分の体に乗ってきたとき・・・犬は自分の身を守るために威嚇(もしくは攻撃)をする。

 

母親にとって子犬は「自分の分身」だ。子犬=自分であるなら、子犬の危機には自分の身を守るように、子犬の身を守るのではないか。そうなったとき、Aへの威嚇は単純にBを守るための行動であり、Aに何か「指導」的なメッセージを送っているわけではないのでは?

 

だから次の日にBがAに対して強く出た場合、Aが困っていたらBに対して威嚇を入れるだろう。Aの安全、Aという自分の分身の安全を守るために。分身にとっての脅威をはじく行動が、対象が同胎の兄弟であるために、人々は教育的な指導と錯覚しているのではなかろうか。対象が兄弟でなく別の群れのオスなら、みな一目で「外敵から我が子を守った」となるだろう。「外敵を叱った」とはならないだろう。

 

ちなみに、子犬同士のヒートアップを止めるのは、だいたいが父親でなく母親、もしくは母親の親族である。

 

母親の怒りはそのいじめが終わるまで続くだろうから、子犬は簡単に学習していく。「ここまでやったら母が怒ると。」怖い怖くないはさておきだ。いじめをやめない限りは怒られつづけるなら辞めるだろう。2択を選ぶ単純明快なクイズである。

 

すべての動物にとって、母は偉大だ。そして「叱る」という行動は、我々人間に与えられた、人間のために特別な能力なのだと思う。犬は叱らずに育てる。そして良いトレーナーは、怒る以外の方法で、きちんと犬と接していく方法を知っている。