笛付きのお菓子を食べる娘
移動時に吹きながら歩く
落として中身をこぼす
落ちちゃった、、、と残念そうな悲しい声と表情
悲しいねと同情しつつなんで落ちたと思う?と聞くと
歩いてたからという
どうすればよかった?と聞くと
歩かないで吹けばよかったと言う
だから、お菓子無くならないように歩いてる時は吹かないようにしようねと念を押す
その数十分後
弟の違う形のハーモニカのようなものがついたお菓子を歩きながら吹く
悲しみとか、人に言われたではない、自分で感じた感情であっても「同じことを繰り返さないようにしよう」より衝動性や好奇心が勝る
旦那の名前に似た名前が園内放送で呼ばれた
念のためにインフォメーションセンターに確認に行く
名前を書き確認してもらう
待ち時間での出来事
娘がトイレに行きたいと言うので、そもそも旦那と息子より数メーター離れていたところからトイレに行くと伝えた
暗黙ではあったけど彼が息子の保護係
でも帰ってきたら息子はいなくなっていた
彼に聞けば、君と一緒に行ったと思ったと言われた
行くと言ったとき既に2人組に分かれて遠く、つまり私たちの全体像が見える状態で声をかけていたのに
娘も旦那も視野が狭い
よくあること
だから話が食い違ったり、理解が共有できなかったり困ることやイライラすることが多々ある
そして今回はとうとう迷子という事件が起きた
幸にして人混みではあったが、とある家族が保護して下さり再開できた
ゾッとした
そんな経験から私やおそらく多数の人は身が引き締まると言ったことでルールがなくても無意識な気を張るとか注意深くなるとか安心安全な生き方になっていくのだと思う
人は完璧ではない
だから失敗なんてあって良いと思う
しょうがないと思う
でも、経験は次につなげるもので反省などはとても大切なものだと思う
それこそが学びだと思う
でも、彼は見つかってから何事もなく過ごす
安堵とか喜びとかあまり感じられない
もちろん、そんなことは過去にもあり、感情をあまり出さない人とか、感情の切り替えが早い人とか周囲が言ったこともあった
その時は、そうなのかと受け入れたり、本人にしか分からないこともあると思った
でも、同じようなことを繰り返す
なんで同じことするの?とか、やばいとか思わないの?とか前に聞いたことがあるけど、彼自身が言っていた結局どうにかなると言うこと
努力して、やるだけやって、あとは考えすぎても緊張やタイムアウトとかの場合ならその言葉はいいと思うけど、反省とか危機管理に繋がらない発想にだいぶイライラしてきた
だから、とうとう迷子が発生した
たまたま見つかった
たまたま無事だった
たまたま
この、たまたまがない
無事だった→自分が見てなかったことはないしたことじゃない
つまり、子供を見てなくてもウロチョロする生き物とは思いつつ、心のどこかで平気だと思ってるからそこまで無意識の中で子供を見ると言うことが少ない
なのか、自分の名前が呼ばれた気になる程度で、そのこと一つに捉われて他が考えられなくなってしまうほど一つ集中
たしかに一つ集中はよくある
でも、調べてもらってる、待ち時間程度すらそうなるのは結構きつい
視野が狭いとか一つ集中とか、特性だからしょうがないとか、しょうがないんだけど、私にだってキャパがあるし、大人が横にいて、特性ある人だなと思ってても、大人といたらの暗黙のやりとりとか、僕が持ってくねとかやっとくねと言われたことまで1から全て把握するのは難しい
独り身なら気がはるけど、そう言う意思表示されると私の気が緩むから、そんな旦那さんならあなたがしっかりしないとと言われても難しい
そもそも人の面倒見れるほど、3人の世話ができるほど、そしてその3人が勝手に動くものを管理できるほど私は器用ではない
人だから失敗なんてたくさんするよ
ルール作られないと、同じことを繰り返すのかもしれない
けど、ルールを作ったところで、危機感がないから守らない
ガチガチに固めたところで出来やしない
さっき話したのにお菓子をこぼした程度ではイライラはしないようにはなった
でも、本人が悲しいやどうしようと心動かされることがあっても同じことをしてしまう人は、同じことを繰り返す
同じことでなくても危機管理が少ないから粗相をする
人が絡むことであれば迷惑をかけることもある
彼らを責めてもしょうがないこと、責めたら否定で傷つけたり反発するだけ
どう向き合ったらいいんだろう
嫌とかではなく困る
事件がいつか起きるのではないかとソワソワする
もちろん誰だって、いつ何が起こるかわからない
とは言え、可能性的な問題
怪我だけでなくて、人のものを壊す無くすとかも
私のキャパが足りない
生活するのが大変
周りはおおらかにとかなんとかなるなんて、そんなの他人事
その言葉が腹が立つ