わたしのお母さんはこんな人

わたしのお父さんはこんな人

わたしの子どもはこんな子


そう思ってる「こんな」は、
その人のほんの一部でしかない。





こんにちは。
星野えみです。

空気が風が秋らしくなってきましたね。


数日前、Jinさんのお母さんの葬儀が終わりました。


この数年で、数回しかお会いできなかったけど、
いつもニコニコとふわふわと接してくださる方でした。


ご逝去の後、
葬儀についての取り決めなどで菩提寺の和尚さんと話をした際、
「どんなお母さんでしたか?」と質問されたJinさんとお姉さん。

Jinさんとお姉さんから見たお母さん像があり、
施設でお世話をしてくれていた方たちから見たお母さん像があり、
親戚の方から見たお母さん像
地元でおつきあいされていた方から見たお母さん像
お友達から見たお母さん像
和尚さんから見たお母さん像

全部違っていて、
もちろん同じ認識もあって、
でも真逆に感じる部分もあって、
全く知らなかった一面もあって

子どもから見た「こんなお母さん」
なんて、
その人のほんの一部でしかないんだな、と実感しました。


わたし自身、
仕事が絡むと「しっかり者」な部分がたくさん出るけれど、
娘から見たわたしは「うっかり者」

今は子どもたちやJinさんの前ではたくさん笑ったり泣いたりはしゃいだりするけれど、
父や母の前ではそんな姿ほとんど見せてこなかった。


相手が子どもだから見せない姿
相手が父母だから見せない姿
相手が他人だから見せない姿

そんなのはあるだろうし、

逆に相手が違うから見せる姿もある。


わたしたちが信じている、

わたしのお母さんはこんな人

わたしのお父さんはこんな人

わたしの子どもはこんな子

あの人はこんな人

こんなの、ほんの一面でしかないんだろうね。


わたしに色んな面があるように、
父にも
母にも
子どもにも
あの人にも
色んな面がある。


そういうことが改めて腑に落ちた数日間でした。




SNSをしていると、
その一面を見た人から「あの人はこんな人」と言われていることがあります。


SNSではみんな、
見せられる範囲しか見せていないとわたしは思っていて、

「全部ぶっちゃけてます!」という人も、

まぁその底の底は見せていないし

「すっぴんだよ」という人も見せられるすっぴんしか載せない。

(たまにわざとめちゃくちゃひどいのを載せてる人もいるけれど、それでもこれは見せられると判断したものなんだよな)


「見せたいところだけ」というのは決して悪いことじゃないし、

それが嘘をついているというわけでもない。


みんな、いいところも見せないところもどちらもあるのだからそれでいいよな

と思っています。


全部見せるなんて、
家族でも無理です。


全部を知ろうとする必要はないし、
全部を見せようとする必要もない。


人は、状況や関係性によって全く違うように見えます。

わたしの見ているあなたと、
他の人が見ているあなたも違う。


誰かを、一面だけを見て評価するのではなく、
広い心で見ていきたいです。



読んでくださってありがとう。
星野えみでした。