ピンチの時
切羽詰まった時
去る時
とかとか、


「○○の時」にその人の本質が出る
という話は、

もっともらしい文言だけど、


そうでないこともあるよなぁーと思う。
 


うっすらと虹

 

 


こんにちは。

星野えみです。



その人の本質なんて、
そんな簡単に分かるものかな。


自分に対して、
「わたしはこういう時に本来の自分が出るなぁ」
という分析や認識をするのは分かるけど、

誰かに対して、
ピンチの時にあの人はああだったから、あの人の本質は○○だ

とか

去る時にあの人はこんな行動を取ったから、あの人の本質は○○だ

とか


ほんとかなぁ?



わたしは大抵のこういう類の断定が嫌いだから、

いつもこんな風に考えてしまう。


その人の周りの人を見ればその人がわかる
とか

店員さんに対する態度を見ればその人の本性が分かる
とかも笑

 

 

そういう時もあれば、

そうでない時もあるよね、と思う。


みんな、色んな時があるものだ。

色んな事情もあるのだろうし、
自分なりの理想や正しさに反して行動してしまうどうしようもない時だってあるものだ。

 

 

例えばピンチの時に犯罪を犯した人は、

これから先も一生犯罪を犯す人なのだろうか。

 

それが、本質?



そういう人もいれば、そうでない人もいる。
そういう時もあれば、そうでない時もある。


人間には、

白も黒もある。


 

 

一部分だけを見て、

その人のことを分かったようには言いたくない。

 



「あの人」の話はどうでもいい。


「わたしにはこういうところがあるなぁ」の話がいい。





というようなことを昨日書いていたら、

今朝このような記事が上がってきた。

 

 

昨日、このことについても話していたのだけど、

 

こういう時、はたと、

 

自分もこういうことをしているのかもなぁと、

 

わたし自身思う。

 

 

Jinさんも、

「もしかしたらその前に僕が先にあちらの何かを断じてたのかもしれないし。。」

と書いてる。

 

 

 

その相手に向かってではなくても、

誰かに対して、悪い方の情報や印象だけで、分析したり裁いたり。

 

やってきたなぁと思う。

 

 

自分が見た一側面や、

たまたま見かけた場面や、

人づてに聞いた情報なんかで、

 

自分の常識で相手を分析したり、そんなの間違ってる、って裁いたり。

 

 

今は、そうすることはないようにしていても、

(これも”できる限り”だろうし、ゼロじゃない。知らない間にそうしていることもあるね)

 

いつか自分がそうしたものが、

違う方面から返ってくるだけなのかもしれないなぁ、と思う。

  

 

星野えみでした^^



 






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