幸せの条件をつければつけるほど、

幸せからは遠ざかる。



あれがあれば

これがこうなれば

もっとあれがあれば

もっとあれが少なければ








こんにちは。

星野えみです。



長野の山の上でのお仕事を終えて、大阪に帰ってきました。





帰ってきたら次女が、「夏休みの宿題終わったよー」と報告(夏休み初日ですけど???


補習に行ってた受験生の長女は、「補習の後、学校に残ってドリル1個終わらせてきたー」と報告。



やるなー君たちはー。




長野はうまかったよ





さて今日の本題。



幸せの条件をつければつけるほど、

幸せからは遠ざかるよね、という話。




幸せの条件を、


自分以外の人や物に設定すると、


それは概ね叶わないし、

叶っても長続きするものじゃない。



だけど昔の私は、

誰かや何かが変わることを、幸せの条件にしていたなぁと思うんだよね。



あの人がこうだったら

この子がこうだったら

この状況がこうなれば、


みたいに。




幸せの条件づけをたくさんしていて、

更にそれは、自分以外の人やもので、

そんなの、

叶うことの方が少ないわけで。












本当は、


自分というもの全てが、


幸せの条件。




自分が自分であるということだけが、


幸せの条件。




自分のことを嫌っていてもいいし、

責めていてもいいし、


自分のことを許せなくても、

受け入れられなくてもなんでもいい。



ましてや他人の評価なんてほんとどうだっていい。



だけど、


自分が自分であるということをジャッジせずに受け入れられた時に初めて、


幸せなんだな、と腑に落ちるのではないかと思います。




自分が自分であることそのものが、

幸せの条件なのではないかな、と思います。




星野えみでした。




そもそも、

幸せになろうとして幸せになれるものじゃないんだよね。


ひとは。




アファメーションとか言って、

「幸せだなぁ」なんて何度つぶやいても、


自分の外側に幸せの証拠探しをしているうちは、


結局一向に幸せにはなれないんだろうな。