「感謝するから幸せになる」っていう表現が、

わたしにはどうにも合わない。

 

 

「ワクワクしてればうまくいく」っていうのも、

同じくなんだけど。

 




 

 

こんにちは。

心理カウンセラー 星野えみ(えいみー)です。


 

 

まぁこれらの言葉って、

受け取り手の都合の良い解釈というのが混ざってくるから仕方ないのだけど、

 

感謝するから幸せになるのではない

 

と、わたしは思ってる。

 

 


ありがとうをつぶやいていれば幸せになる

ありがとうを繰り返していれば成功する

感謝を100万回唱えれば豊かになる

 

っていうのを本気で信じてしまうのは、

自分の人生に真正面から向き合うことから逃げてるだけかなぁとか思うし、

 

 

心のこもっていない「ありがとう」でも効果はあります

ありがとうの言葉が集合無意識に繋がり世界中の人がありがとうに込めた波動につながるからです

 

とか言っちゃう側の人に対しては、

説明が雑だなーとか思う。

 

 

どちらにしても、丁寧に生きる姿ではないな、という点で、

わたしには合わないのだと思う。

 

 

 

感謝は大事だし、

自分も周りも幸せにする。

 

もちろん。

言うまでもなく。

 

 

だけど、

本当の感謝じゃないと、ほとんど意味はない。

 

 

言葉だけの「ありがとう」なんて、

ただの音の羅列だし、

わたしの中では「だいふく」って100万回唱えるのと何ら変わりがないと思ってる。

 

 

「ありがとう」という言葉の言霊を信じている人はもちろんそれで良いのだけれど、

 

「ありがとう」と口で言いながら、

 

そこに乗せてるエネルギーが「これを言ってわたしが幸せになってやる」

 

だと、ほんと、意味がないなぁと思う。

 

 

 

本当は感謝してないのに、

 

幸せになりたいから

成功したいから

良い言霊だから

 

「ありがとう」って口から出すなんて、

 

なんとも品がないし、

自分に対して失礼だと思う。

 

(それが好きな人はもちろんすればいい

 





 

 

 

本当の感謝っていうのは、

少しの練習とセンスが必要だな、と経験上思うのです。

 

 

人って、

すぐに慣れるものだから。

 

すぐに「当たり前」になるものだから。

 

 

 

 

目の前のことを、

 

色んな角度から見る練習とそのセンス。

 

 

これって、

当たり前のことじゃないよな、とか

 

これって、

裏にはあの人の(または知らない誰かの)努力が隠れてるよなぁ、とか

 

色んな角度から、

色んな立場や状況を想像したり、

色んな感情やなんかも見るセンス。

 


「罪悪感を持って見る」のではなくね。

 

 

 

 

あと、


何かに対してそんな感謝に気づいた時、

 

人って不意に、

「いやでも、わたしだってこんなにやってるし」

「いや、それくらいはやって当然だし」

「いや、こっちはお金払ってるし」

「いや、あっちは好きでやってるんだろうし」みたいに、

 

感謝しない方向に思考が阻止することがある。

 

 

それって、

無意識の、

「負けたくない」

「損したくない」

っていう防衛なのかな、と思う。

 

 

この自己防衛をさらに超えて、

目の前に広がる今に感謝できるようになると、

 

本当の感謝かな、って思います。

 

 

そのためには、

”余裕”というものが必要になるかと思うけど。

 

 

 

 

本当の感謝をしようと思ったら、

よほどのネイティブな感謝上手でない限り、

日常の中で、繰り返し練習がいるものかと思う。

 


だけど、

これって、

一人で練習できるもの。

 

 

 

やっていくと、

日常の中の色んなものに、

感謝ばかりが溢れてくるようになる。

 

 



そう思うと、

人って、

感謝するから幸せになるんじゃなくて、

感謝しようとしなくても感謝が溢れてくる状態を幸せと呼ぶのかもな。

 

 

 

星野えみ(えいみー)でした^^

 



 

 


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