何かを「悪い」「ダメだ」と責めることって、

 


そうすることで、

そこで思考停止できるという利点があるのだなぁと思う。




何を責めても。

誰を責めても。

自分を責めても。






 

 

こんにちは。

心理カウンセラー 星野えみ(えいみー)です。

 



昨日は11月08日で、いいおっぱいの日ということで、

Twitterには「いいおっぱい」な画像(二次元&三次元)が出回っておりましたが、






悪いおっぱいなんて、ないもんね!!!!!






さて、

 

何か困ったことや、

自分にとって嫌なこと、

『問題』に見えるものが目の前に現れた時、


わたしたちは、


「何が悪かったのか」と、


その原因や理由を探そうとする。

 

 

 

例えば、


あれが悪かったんじゃないか

あんなことしなければ


って、自分の言動を責めたり、

 

あの人があんなこと言うから

あの人が悪いんだ、

って、誰かを責めたり、

 

世の中や、

時代や、

制度が悪いんだ、って、

何かのせいにしたり。

 

 


そんな風に、

自分や誰かや何かを責めることって、

 

そうすることで、

 

そこで、

思考停止できるという利点があるのだなぁと思う。


 

何かひとつ、その原因や理由と思しきものに行き着くと、

 

ひとまず安心して、

それ以上、物事を考えなくなるよなぁと思う。





それは、


不安や恐怖っていう、

言うなれば自分の生存本能を揺るがすものに触れた時に起こる、

『安心を得る』という、動物的な本能であるとは思うのだけれど。







誰かや

何かや

自分を悪者にした、


思考の停止。




悪者を作った時点で、

それは自分にとっての着地点となって、


簡単に、

それについて、考える必要がなくなる。





ワイドショーなんかを見ていると、余計にそう思うよね。


特定の誰かや何かを悪者にして、

それを「悪い」と非難することは、

とても簡単な思考の停止だ。

 

 






いい

悪い



って、

本当はない。


というのはよく言われていることで、


自分と「違う」ものがあるだけ。



自分と違う
自分の価値観と違うそんなものがあるだけ。


何も

誰も


悪くない。



 

いい

悪い

の価値観なんて、

一瞬で変わる。



ほんとうは、

 

悪いものなんてないし、


おかしいものもない。

 


 

『自分と違うもの』が、あるだけなんだ。

 

 

 



星野えみ(えいみー)でした^^

 



そして

何かを批判する時、


わたしたちはいつか、


自分自身がその言葉に苦しめられるのだと思う。



 

どんなことでも、

どんな犯罪でも、


もしかすると自分の家族がするかもしれないし、

自分の子どもがするかもしれないし、

自分の大切な人や、

ましてや自分だって、

するかもしれない。



想像力を少し働かせれば、

わかることだ。



 

 

 

 

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