誰かを「かわいそう」と思うこと、

 

誰かを心配したり、

誰かの困難を不幸に思うことは、

 

 

 

お手軽に、

 

 

自分をやさしい人のようにしてくれる。

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

心理カウンセラー 星野えみ(えいみー)です。


 

 

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あの人がかわいそうって、

 

言うことは簡単。

 

 

あの人がかわいそうって、

 

心を痛めることも、簡単。

 

 

ほんとうに、そう感じてはいるのだろうけれど、

 

そのことは、

とっても手軽に、

自分をいい人のように感じさせる。

 

 

目の前の人の心配も、

目の前の人の困難も、

 

どこかの家の虐待も、

どこかの学校のいじめも、

 

どこかの国の貧富の差もどこかの地域の戦争も、

 

「かわいそう」

「許せない」

 

と、言葉に出して言うことはとても簡単で、

 

自分自身を、さも美しい心を持っている人のように感じさせてくれるおいしいもの。

 

 

 

じゃあ、

 

そのかわいそうのために、

その心配のために、

その許せないことのために、

 

あなたは、何をするの?

 

今、何をしているというの?

 

そのことのために、

何ができるかを、

考えたことがあるの?

 

 

 

 

 

 

ちょっと、昨日ネットを見てて、

いろんな「あの人かわいそう」に触れて、食傷気味になったのでした。

 

ええねんけどさ。

 

その先の自分の行動に触れてないたいていの人に、

本気で思ってねえだろ、とか思っちゃった。

 

 

 

 

これを読んで、

「そうそう偽善者って嫌よね」と言うひとも、

 

わたしはいただけないけどね。

 

 

偽善というのは、何も悪いものじゃない。

人は誰でも、どこかで多少なりとも偽善者になってしまうものだと思うし。

 

 

自分の中の偽善的な気持ちを見つめた上で、

人のためになると思う行動は、すればいい。

 

 

行動もせずに、

「あの人はかわいそう」

「あんなの許せない」と口で言っているだけなのは、

 

 

ちゃうやろ。と思うのだ。

 

 



 

「かわいそう」と思う気持ちは、もちろんあっていい。

 

 

だけど、

それを使って自分を気持ちよくさせている構図には、自覚を持っていたいなぁという自戒。

 

 

そして、

「かわいそう」の思いだけで、

自分が役に立ちたいという気持ちだけで、

 

相手を見くびるのも、自分を見くびるのも、

あかんよなぁという自戒。

 

 

 

相変わらず、わたし固い(笑)

 

 

 

 

 

 

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