ぼーーっと、
街を歩く人や、同じ電車に乗り合わせた人なんかを見ると、


みんな普通に、
嬉しいことも楽しいことも、
つらいことも悩んでることもあるんだろうなぁ、と思う。




ただし、これは、
自分のこころがフラットな時。


こころがささくれ立っていたり、拗ねている時は、
たいていみんな、悩みなんかなくて、へらへらと楽しく幸せに生きているのではないか、と感じる。


そんなもんだ( ˙༥˙ )




こんばんは。
心理カウンセラー
心屋塾認定講師  星野えみ(えいみー)です。

ひねくれた桜の妖精(39)です🌸




こういうことは、やりがちだけれども、

でもまあ、よくよく考えると、
他人のことを、
わたしのモノサシで測るのはおかしいよな、と思う。


自分のことが、自分のモノサシでしか測れないのと同じように、
他人のことは、わたしのモノサシでは測れない。



注文したご飯が、わたしにとって多いのか少ないのかはわたし本人にしかわからないし、
口に合うのかどうかも、もちろんわたしにしか分からない。

目の前の問題が、わたしにとって他愛もないことなのか、ひどく悩むことなのかも、わたし本人にしかわからない。


わたしの気持ちはわたしにしか測れないし、
他人の気持ちはわたしには測れない。


なのにわたしたちはよく、
他人の気持ちを推し量る。


これをすると、嫌がるんじゃないか。
これは、迷惑なんじゃないか。
さすがにこれは傷つくだろう。
怒るだろう。


おせっかいにも、程がある。





わたしの気持ちの大きさはわたしにしか測れないし、他人の気持ちの大きさはわたしには測れない。


同じものを好きなふたりがいたとして、
どっちの方が好きかなんて比べることはできない。


わたしは、
ぢんさんや、
関ジャニ∞や、
YUKIや、
手塚治虫先生が好きであるが、
その大小は誰にも測れない。


わたしより好きな人がたくさんいるであろう、とか、
わたしの好きなんてまだまだだ、なんて、
どうでもいい話で、
そんなふうに自分の持つ好きの気持ちに遠慮を感じた時は、
自分のモノサシの中で、好きの気持ちを上げればいいんだな、と思う。



すいません。
酔っぱらいです(*ˊᵕˋ*)♡


おやすみなさい♪