前回記事の続き
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『お父さんの足音とか、話し声とかに一瞬体が固くなる』という悩みを、心屋のカウンセリングに沿ってコバがひも解いてくれるんだけど、
その中で出てきたのは、中学生の時の私でした。
私ね、小学生の時、お勉強がとてもよくできました。
運動が全くと言っていいほどできなくて、
楽譜が読めなくて楽器が弾けなくて、
絵も上手に描けなくて、
私が褒められるのはお勉強だけでした。
本を読むのも大好きで、図書室の常連で学年で一番本を借りたで賞みたいなものをもらったこともありました。
好きで本を読んでいたけど、本を読むから頭がいいと褒められました。
家のお手伝いはして当たり前だから、頑張っても褒められない。
私が褒められるのは、
お勉強ができた時でした。
そして、小学4年生の時に、塾に通わせてほしいと親に頼んだそうです。
超進学塾で、問題が解けないとホワイトボードの前に立たされて講師にお尻を蹴られるような塾でした。
痛いのが怖くて、
必死で勉強しました。
すると、小学5年生の時に、全国模試で1位を取りました。
お母さん、すごく喜んでた。
講師も、すごく喜んでた。
6年生の時に塾を変えて、蹴とばされることはなくなったけれど、それでも必死に勉強していました。
勉強は、やれば成果が出ると信じていたから。
がんばれば報われると思っていたから。
そして中学受験をして、大阪市内にある進学女子高の特進クラスに受かりました。
そこで、自分の世界が小さかったことを知りました。
入ってすぐの実力テストでは真ん中くらいだった成績が、
病気で1週間学校を休んだ間に授業についていけなくなり、
1学期の中間テストの時点で後ろから3番目くらいに落ちました。
そんな成績を親に見せるのが嫌で嫌で仕方なかった。
がっかりさせたくなかった。
そこからは、勉強しても勉強しても盛り返せない、苦しい時期が3年間続きました。
毎晩、夜中まで勉強していました。
ただね、大阪市内まで通うのに、毎朝5時半起きなんです。
だから、夜は眠くて眠くて、
よく、勉強机で居眠りをしていました。
そしてね、お父さんが、夜中に帰って来て、私の部屋のドアをガラって開ける音でびっくりして目が覚めるんです。
そして、がっかりしたような声で「寝てるんか」って、言うんです。
私、「ごめん」って、謝ってたなぁ...
これ、何回も繰り返しました。
そのうち、お父さんが階段を上がってくる足音で、目が覚めるようになりました。もしくは、廊下を近づいてくる足音。
『ちゃんとしなきゃ』って、思ってました。
勉強しても勉強しても成績の上がらない私は、お父さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
勉強しながら居眠りする私は、怒られて当然だと思っていました。
お父さんは、夜中まで仕事をして稼いできてくれている。
そのお金を使って、私は私立中学校に行かせてもらっているのに、私はなんてダメな娘なんだと思っていました。
進学校だから、テストも多いんですよね。
普通に中間テスト期末テストに、実力テスト。
いつもいつも成績表を出される。
悪い成績表を持って帰った日は、お父さんが帰ってくるのが怖かった。
お母さんとお父さんが1階で話しているのを、聞き耳を立てていました。
2人で、私のこと嘆いているのかなぁ?
ダメな娘だと話しているのかなぁ?
勉強のできない私は、価値のない人間だとまで思っていました。
高校生になると同時に、特進クラスから一つ落ちたクラスになったために、そこでは勉強のできる人に戻った私はようやくそのしんどさから解放されましたけど、
お父さんの足音に対する条件反射は残りました。
そして、
ずっと点数をつけられることに慣れてしまった私は今、
子育てで100点を目指していることが分かりました。
そんな私にコバがくれた言葉は
『お父さんの期待に応えなくてもいい』
『子育てで0点取ってもいい』
まだ、嫌ーな気持ちになるけど、
唱え続けようと思います。
でね、