小手先ではなく、根幹。

戦後70年以上をかけて愚民化されてきた私達は、物事の価値を金で判断するような立派な愚民に成長しました。その証拠にこれだけ物が豊かなのに先進国の中で若者の自殺率が1番です。でもかわいい私らの子ども達に同じ苦しみを味わわせる訳には行かない。だからこそ根本から教育を見直さなければならない。明治にさかのぼるが、学校制度が始まった時に文部省は、知識教育を重視するか、人格教育を重視するか選択を迫られ、知識教育が重視されるようになった。これは、時代の要求でもあった。社会自体が人格を重んじていれば、学校であえて教える必要はない。社会が育んだ土台を活かして知識教育を行えばそれは理想的だ。しかし、戦後の愚民化政策により土台となる人格を大量のモノをエサに欲望のブタに私達は成り下がった。だから今子どもたちがいや私達も求めているものは人格教育なのだ。

忍耐強く、根気強い意志

思いやりや親切といった情操

の土台があってこその

知識や技能。

人格が育った者と育ってない者となら、一方は活動の意味を分かっているから楽しくストレスなくやる。一方は嫌嫌ながらするから『ゲーム早くしたい、寝たい、お腹すいた』など集中することができず同じ時間勉強やスポーツの練習をしても当然結果は変わる。

今、社会が求めているものは、人格教育なのだ。

早くみんな気づけばいいのに。こんな当たり前のこと。