(W杯サッカー)
ホント腹が立つ!
岡ちゃん批判が出なくなったら、次はトウリオだ。
トウリオを批判しなくなったら、次は中村俊だ。
どこまで悪者探しをしたいんやねん、って感じだ。
皆が言ってるから流れでなんとなく言ってるやつって、
絶対いると思う。
何とかして負けた時の戦犯を見つけようという腹か。
更にはマスコミで岡ちゃんの途中更迭もありえる、
とか書くやつもいる。
W杯の途中で更迭して何が変わる?って感じだ。
せめてもの救いはトウリオが言った言葉
「監督の言われた通りでは、自分たちのよさは出ない!
自分たちの判断でやるサッカーの方がおもしろいんだ!!」
ぐらいだ。
何かで読んだけど岡ちゃんは選手に自由にやらせることもできるし、
指揮することもできるんだろ。それでJリーグでもチームを上位に
したこともあるんだろ。
100歩譲ってオシム氏が倒れた時、違う日本人監督が
抜擢されたとしよう。
それで負けたら、それはそれでその人を更迭しろ!
なんて話しが出てきていたであろう。
更にマスコミは「サッカー連盟のバクチ失敗」ぐらい
書いていたのだろう。
(もちろん日本人監督でも優れた人はいると思うが)
じゃあ、実績ある外国人監督にするのか?
交渉にどのぐらい時間かかるんやねん。
今、サッカーは自主性(選手たち)が求められている。
それも少しずつだが出てきている選手もいる。
今大会は勝ち負けはともかく得るものはあると思う。
岡田監督だって12年前に比べたら、選手の起用や交代は
うまくなっていると思う。
12年前なら中村俊はスタメンから外さなかったと思うし。
監督の指示通り、みんながみんな右向け右でやっても面白くないだろ。
それじゃあ、進歩がないだろ。
そして不思議なことにジーコジャパンの時には、
これと言った批判はでなかった。
おれ的にはジーコジャパンはよろしくないと思っていたのだが。
折角、中田や小野など黄金世代が年齢的にも熟していた時に、
不向きな南米サッカーをやりとおして、結局、負けたじゃないか。
おれ的には試合場が熱かったからかも知れないが
試合中、選手たちが歩いている印象しか残ってないのだが。
しかしジーコには批判は向けられず。
ほんと偏った悪者探しは止めてほしい。
(相撲)
何がむかつくかというと、朝青龍問題と、
今の野球賭博の比較でだ。
なんだ、あのやく氏とかおばちゃんとか。
外部相撲委員会とかなんか名前が付いていたが、
結局は朝青龍をこき下ろすだけこき下ろして、
相撲協会の体質には何も触れられなかったじゃないか。
朝青龍はよくも悪くも相撲界を賑わせたが、
それでも何年も一人横綱として角界を引っ張ってきたんだ。
その間、野球賭博とか平然と力士たちの間で行われていたとしたら、
それを見過ごしてきたとしたら、外部委員会の意味はなんだったんだろうか。
そこを突っ込め、マスコミ!、
ぜひ外部委員会に対しての評価を記事にして欲しいところだ。
とにかく偏った悪人探しはやめろ、と言いたい。
はっきりいって、悔しさと怒りでいっぱいだ。
わたしは素人でシステムがうんぬんとかはよくわからないが、
これでも1990年代から日本サッカーを見てきたつもりだ。
ドーハの悲劇で日本中意気消沈(僕も言葉を失くした)したのも
体感した。
しばらくサッカーから遠ざかっていたけど、
今回はズブの素人からみても酷すぎる。
吐きがないのだ、気を吐く選手(またはベンチ&コーチ陣)がいないのだ。
まるでお遊戯だ。(浮足立っていたのか)
韓国は仕上がっていた、
ある意味最終的な戦術の確認で、選手同士声をかけあって、
今思えばほぼ万全で余裕もあったも知れない。
日本は声を掛け合うこともなく、パス回し、
何をしたいのかまったくわからなからない、
韓国のプレッシャーに圧倒されたのもあってかガタガタだった。
ただ、そんなことは、本番でもそうなることはわかりきってることだろう。
(他国も一次リーグ突破に必死なのだ。)
それも踏まえて選手育成だ。
期待していた本田も浮足立っていたかも知れない。
はっきりいってW杯はそんな気持ちでこなせるほど
余裕はないのだ。しっかり地に足つけてプレイできるまで
精神状態を持っていかなければいけないのだ。
特に日本はサッカー界全体から見ても弱い、
お遊戯みたいなサッカーをして何とかなるもんじゃない。
あと本番まで3試合だったというのに、
ほぼW杯後に監督が変わって戦術が変わって、
選手たちがどうすればいいかわからない、
ぐらいの感じで試合をしていた。
W杯後でそんな状況なら負けても仕方がない。
これから作り上げていけばいいのだ。
ただ、これは本番に向けての最終調整だ。
そんあ状況下で誰が司令塔で何がしたいのかわからない、
韓国に攻め込まれても、悶々としたりイライラしても
気を吐く選手がいないのだ。
なんかゆとり教育か!とも思えた。
もっと気持ちを前面に出した方がいい、
試合中でも不満をぶちまけでもいい、
みんな勝ちたいのは一緒なんだ。
それに呼応して動く選手や、またチーム全体がピリッとするのではないだろうか。
今まで培った技術、体力を100%使って自分の仕事をすればいいというものでもないのだ。
それはサッカー先進国がやることだ。
言われた通りの戦術をやりこなすだけなら、
トルシエ監督でも「いらない」というだろう。
いろんなところでこの試合が叩かれているが、
叩かれても仕方がない、それほど今まで見た来た試合で、
本番直前にも関わらず、「仕上がってない」というのが見えたのだ。
ラモスあたりならは怒り狂ってるんじゃないかと思う、熱い人なんで。
(話題にはでてこないが)
とにかくメンタル面での強さをまったく感じない。
しいて言えば、「負けても耐えられる」というメンタル面の
強さを培ったのではないだろうか、と思われても仕方がない。
更に皮肉をいえば、イチローやアントニオ猪木を
帯同させてほうがいいのではないか、とも思った。
あと本番まで2試合しかないのだ、
その2試合でそれに気がつかないと、
勝ち負けはともかく本番でも面白いサッカーは、
見れないのではないだろうか。(現実的には厳しいのだが)
本番でも、今まで努力してきた分の力は出すことはできるのだろう。
ただ、逆に言えば、今まで努力した以上の力は出せないのだ。
それは精神面でもだ。
岡田監督も他の選手も試合の反省というか、
何がいけなかったとか、システム面で分析しても
仕方ない。頭で理解しても、他国の闘志に
(勝つ意欲、何がなんでも勝ち点3を意欲とる)
圧倒されて、機能しないのだろうか。
そんなこと(戦術面など)はあと2試合で
万全にできるわけがないのだ。
もし、選手間で遠慮があるのであれば、
それも検討して外すべき選手も考えた方がいい。
とにかく個人個人が自由に己のパフォーマンスを
十二分に出せる状態でW杯に向かってほしい。
とにかくやれ、ジャパン!
今更ながら「義務」について考えて見た。
さすがに「権利を主張するなら義務を果たしてから」など
もっともらしいことは言わない。
ふと思ったのだが、「義務」って重いよね。
なんか足かせがされている感じ。
なぜだろう、と考えてネット上をいろいろ探ってみたが、
なんとなく答えが出てきた。
義務というのは「国家主権」であることで、
つまり国から背負わされていること。
そりゃ、そんな奴隷じゃないんだから、
「義務を果たさないと飯を食わせないぞ!」
なんてのはナンセンスなのではなかろうか。
「欲しがりません、勝つまでは」じゃないんだから。
そしてネットで発見したのは、
そろそろ「義務」を「権利」に置き換えても
いいのではないだろうか、という話。
何が言いたいかというと日本の「三大義務」です。
納税の義務・勤労の義務・教育の義務。
これを権利に置き換えて見る。
納税の権利・勤労の権利・教育の権利
権利というと「国民主権」という感じである。
言葉がだいぶ軽くなった。
何も「納税の権利があるだけで必ずしも税金を支払わなくてもよい」
と言っているわけではない。
納税をした人は国のサービスを受けられる。
勤労をした人はそれに見合った対価が得られる。
教育を受けたものはそれに見合った教育が見につく。
これこそ国民主権ではなかろうか。
どこかに日本という国家で生活していくのなら、
日本の義務を負うのは当然だ、という書き込みも見つけた。
そこに僕は疑問が湧いた。
日本というのは”物体”ではない(島国ではあるけど)。
人の集合体が集落を作り、村を作り、町を作り、
それらが合体して国家になったのではないだろうか。
つまり「人」がいなければ、国家は存在しないのだ。
働く人は権利を行使して雇用主と話しあって、
ともにwin×winの関係になればいいと思う。
権利だからといって労働者が押しつけがましく
いっても雇用主はいい気はしないだろう、
また義務ではないからいい気がしなければ、
結果、不採用になっても仕方がない。
義務だとしても、使えなかったらお払い箱になる世の中だ。
そういう人や何かしらの理由で(事故で働けないなど)、
働けない人にとって「義務」という言葉は重くのしかかってくる
のではないだろうか。
納税もそうだ、税金を払ってれば、
国や地方自治体からそれなりのサービスを
受けられる、それは権利を行使してもいいところ
だと思う。ただし、今までどおり、補助金や助成金で
怪しいところがあれば、役所が突っぱねればいい。
審査をするというところは変える必要もない。
いくら権利、権利と騒いでも、国や地方自治体が
それに見合った保障をするべきでないと判断を
すれば、それまでだ。
また義務にしてるから、国のサービスが受けられない時に
不平・不満がたまるのではないだろうか。
(国民を守るのは義務なのになぜ・・って)
教育もそうだ、誰もが教育を受けれる権利はある。
ただ、民間(公立もかな)ではどうしても受け入れ難い人もいるだろう。
(障害者など)
義務であれば、受け入れるのが当然だと思うが、
実際、受け入れ拒否の学校もあるそうだ。
そこで親御さんと学校の摩擦が生じる。
権利であれば、いろんな学校に問い合わせすることも
大変ではあるが、恨みつらみみたいなものは減るのでは
ないだろうか、つまり心の消耗(ストレス)も減るのではないだろうか。
給食費も教育は国の義務だから払わない、という人も
いるらしいが、教育は国民に与えられた権利ととらえれば、
権利を主張するなら、給食費を払え、となるんじゃないだろうか。
実際には、子供手当の一部でも給食費や教科書代、
体操着などに当ててほしいが・・
じゃあ、権利にしたら税金、つまり国の税収は集まるのだろうか、
というところにも着目してみるが、実際は・・無責任だがわからない。
ただ、言えることは上(国家主権)から抑えられることから
解放されるわけなんで、気持ちは楽になるのではないだろうか、
それにまして自由を感じることもあるのではないだろうか。
自由には責任がつきものだが、いい方向にとれば、
大人が精神的に自立するいい機会かも知れない。
「自分のことは自分で」、その権利はあるのだから。
義務だと、国に寄りかかってれば何とかなるや、
ぐらいの人もいるかも知れない。
そのひずみが今の不況や雇用情勢に当たっているのでは、
ないだろうか。
国は国民に義務を課しているだけで国民の精神的な自立は
保障していないのだ。
その弊害がアイデンティティ(自我同一性)の欠如や
うつ病にもつながっているのではないだろうか。
国民主権、国民の幸福度(幸せに感じてるか否か)や
生き易さを優先してほしい。
隊長!戦争は終わりました!
おれも戦争をやめます。
もうあなたの話を鵜呑みにすることはありません。
自分の意思で自分本位に生きます。
わたしの運命はわたしのものです。
あなたのものではありません。
悔しいわ~、
心ないこと言われたわ~。
システム作ってると、たまに頭では理解しているけど、
できないやつが知ったかぶりをする。
また、何の努力もなしにできるじゃん、って
勘違いしてるやつがいる。
そーいうやつとは付き合ってられんわ。
じゃあ、おまえがやれ、って感じだ。
できないから、頼むんだろ!
やんなくてもいいんだよ?おれは。
こっちはいろんな側面から見て、打ち合わせを経て
一つのものや機能を作るってのに。
一つの機能を作るのにも、そこに至るまでの
経緯があるっちゅーねん。
いろんな方法を試したり検証をしてるんだっちゅーねん。
それを一言で無下にされたらかなわんな。
ちゃんとしろよ!
腹立つわ~。