父方の祖母が去年の9月に亡くなりました。
4人の祖父母で最後に旅立ったのが父方の祖母でした。
父方の祖母、いわゆる家のおばあちゃん。

家のばあちゃん、なんというか、すごく問題児でした。笑
性格が悪いというか、自分勝手というか、とにかくすごいばあちゃんだったな…。
嫁である母にどころか、息子の父にまですごかった。
普通、母にとって息子って可愛いもんだと思うんだけどなあ🤔笑

親戚の中も引っ掻き回すような祖母だったので、私も大人になってからはあまり祖母を良くは思ってなかった。
転んで動けなくなってからは、父と母がなんとか介護してたけど、これまたわがまま放題。
介護の限界が来る頃に、祖母が自分から施設に入ると言い出したので、介護保険の申請をしてなんとか入所に。
介護してもらってるのに母への当たりも強く、母が壊れる前に私もこの状況から早く解放されたい一心で、入所を待ち望んでた。

結局そのまま入所になり、祖母が家にいなくなることで、祖母によく似た娘、つまり父の妹も実家である我が家に出入りしなくなり、少しホッとした。
ホッとした気持ちが大きくて、私は祖母に面会に行かなかった。
いつでも行けると思ってたし、行ってうるさいこと言われるのも嫌だし、って。
で、5、6年入ってたかなあ、去年の9月に、急性心不全を起こし、病院に運ばれ、その日の日付けが変わる直前に亡くなった。
それでも私はまだ寂しさは感じず、最後病院から呼び出された時も行かなかった。
母から電話で、今亡くなったと言われた時も、夜中だったけど、家の縁側開けて霊柩車来る準備しとくねなんて答えた。

その後、葬儀屋さんが祖母を乗せ、家に連れて帰ってきてくれた。
顔からシーツがかけられていたけど、なんだか小さいように感じた。
祖母の顔は怖くて見れなかった。
よく、憎まれっ子世に憚るなんていうけれど、本当に祖母は死なないと思ってたから、人はやっぱりいつかは死ぬんだって思った。
葬儀屋さんの指示に従って、いろいろ準備したりして、それでも顔は見れなかった。
少しシーツがズレた時に顔がチラッと見えたけど、口が閉じ切れてなくて、怖ささえ覚えた。
少し仮眠して、早朝からまたいろいろ家の手伝いをした。
朝一近くの親戚が来てくれ、祖母に会ってくれた時、私も一緒に顔を見た。
不思議と口が閉じていて、小さくなった、でも綺麗な顔の祖母がいた。
5、6年ぶりに会った祖母。
それからお葬式までは、田舎なもので、ひとの出入りが多く、せわしく過ぎて行った。

お葬式当日の朝、祖母の棺を開けた。
涙が止まらなかった。
大人になって、いろいろわかるようになってからは、祖母の悪い所だけが目についた。
でも、子どもの頃はおばあちゃんっ子で、いつもばあちゃんと一緒にいた。
大学生の時、将来のことで母とぶつかった時も、ばあちゃんの存在に救われたこともあった。
ばあちゃんの作るポテトサラダが美味しくて、真似出来なかった。
いろんな思い出があるのに、それを忘れてた自分が情けなかった。
火葬場で、みんながお別れをした後、もう最後ですがよろしいですか?と聞かれ、姉と2人でもう一度祖母の顔を見ながら、楽しかったねと昔を振り返った。
ばあちゃんはいなくなっても、思い出は消えないからね。

ひと段落した後、父は母に、お礼を言ってた。
確かに、母じゃなければ、このばあちゃんと妹と親戚では離婚してたと思う。笑
芯の強い、でも愛情溢れる優しい母だから、私たち子どものために、夫である父と夫婦で支え合ってこれたんだと思う。
父のありがとうにはいろんな意味が込められていたように思う。
そんな夫婦になりたいと思った。

ばあちゃん、天国から見守っててよね!
何もしてあげれなくてごめんね。
怒らないでね。
ありがとうね☺️

そんなことを考えた今日はお彼岸明け💐