連絡をくださった方々、ご心配お掛けしました。


自分は無事です。

地元の家族も、何とかみな無事です。

ご心配をお掛けしながら連絡をせず、本当に申し訳ありませんでした。





僕は今、茨城に住んでいます。

僕の震災以前の近況がわからない人への説明になりますが、僕は今ゲーセンの店長をしていて、つい1ヶ月前に群馬の店から転勤してきました。

なので、本震のあった日も、茨城で仕事をしていました。

かなり激しい揺れで危険な状態ではあったのですが、無事に避難することができました。

それ以降現在に至るまでの詳しい経緯は省きますが、電気ガス水道も自分の家は震災日当日中には復旧し、食べ物も方々を回って手に入れることが出来たので、現在はそれほど不自由なく過ごせています。

ただし、ガソリンが手に入らないのと、まだ電車が動かないのとでなかなか身動きが取れない状況です。

地元へ真っ直ぐ向かう場合、電車にせよ車にせよ原発の側を通らなければならないということもあり、東京方面へはともかく地元へはまだまだ向かえそうもありません。



そんな中ではありますが、茨城も徐々に普段の生活を取り戻していってはいるので、建物の復旧が終わってからはすぐ店を開けています。

なかなか実家とも連絡が取れない中(家族の無事を知ったのは一昨日です)、家が近いスタッフのみで店を回したりといっぱいいっぱいの状況での運営になり、心労・疲労はたまる一方でした。




現在は少しずつ落ち着きを取り戻してきてはいるので疲労もピークを越えた感覚はありますが、まだまだ落ち着けない状況ではあり、自分としても家族の無事がわかった限りは改めてやるべきことをやっていく心積もりではあります。








実家の状況ですが、一昨日の時点で家族は避難所へ避難しているという情報を確認でき、ひとまず安心しました。

今は、さらに別の親戚の家に移り、何とか怪我や病気もなく過ごせているようです。

実家の建物は一階部分はほぼ全部水に浸かってしまい、半壊状態です。

もう住むのは無理な状態らしいですが、今はそれを考えても仕方がないので、まずはライフラインの復旧と物資のより円滑な供給を望むしかありません。

これからの生活については、さらに復興が進んでから家族・親戚で考えていきたいと思います。







実家や親父の職場の位置関係で結果的に助かることが出来ましたが、たくさんの方の命がなくなりました。

一部の旧友とは連絡がつきましたが、未だ多くの知り合いとも連絡がついていません。

大学に出てから地元の知り合いとはほとんど疎遠になり連絡先を知っている人間は限られるのですが、ただ連絡が取れないだけで無事である人が少しでも多くいることを望んでいます。

考えたくはないのですが、今回の震災の被害を見る限りでは、知り合いの方やその家族で助からなかった方もおそらくいると思います。

本当に考えたくないことではあるのですが、あまりにも甚大すぎる被害のため、覚悟せざるを得ないです。

僕の実家は石巻駅の近くにあり、海岸線からは五キロぐらいはあると思うのですが、人の身長ほどの海水が家まで流れてくるほどの津波だったらしいです。

三十年前の宮城沖地震を経験した方は、大きな揺れを感じた直後少しでも高いところへ逃げた人も多かったと思いますが、沿岸に近いところにいた人はおそらくわかっていながら逃げられなかったと思います。

聞いたところだと、地震の発生から津波の到達までほとんど時間差がなかったようでした。

仙台の荒浜から陸に迫った津波は、10メートルの高さでした。

今回の災害では、揺れそのものが直接的な原因で亡くなった方も多かったのですが、死亡した方のほとんどは津波が原因です。






現在でも行方不明の方も多く、地元が復興する日はまだまだ先の話になります。

そして、これだけの爪痕が残されたとなれば、昔通りの姿に戻ることもないわけです。

復興という状態が程遠い現段階としては、先立って、孤立してしまっている地域の方たちの救助が望まれます。




今、大きな過不足ない環境で生活していられる自分ですが、そんな自分だからこそやれることをやっていきたいと思います。

この文章を読んで頂いた方にも助けを求めることもあるかと思いますが、可能な範囲でご助力いただけるよう、改めて宜しくお願い致します。