当時私は中学生頃で、朝の5時46分は布団の中でした。
あの揺れが起きる直前にふと目が覚め、何やらゴーっという音がしてきたと思った矢先震度7の揺れが起きました。
私は3月11日の東日本大震災も体験していますが、正直直下型地震だった阪神・淡路大震災が1番恐怖でした。縦に揺れの事で音が凄く物が飛ぶ感じに落下して来ます。そして何より怖いのが建物の崩壊です。まだ幼かったので一瞬ポルターガイストかと思った程考えられない揺れでした。
落ち着いてから窓から外を見るとあったはずの建物がなく、近所は停電してました。幸い私の家は無事で電気も付いたのでテレビをつけていたら、あの美しかった神戸が……。
数日後、ボランティア活動の参加募集を見つけたので友達と参加しました。が!この参加が今でも忘れられない出来事になるとは当時は思ってもいませんでした。
中学生の私達に出来る事と思い参加しましたが、大人が考えた企画にただ従って被災地でパンを配るというものでした。場所は被害が大きい長田区でした。
現実を目の当たりにしてただただ絶句でした。動揺しながらも言われた通りパンを配ってひたすら歩きました。
配っていると学校がありました。避難場所が溢れかえっている為雨風凌ぐ為校舎の階段で寝ているお爺さんを見つけました。薄着で逃げて来た様で1枚の毛布にうずくまっていました。私はパンを渡しました。
「おじいちゃん、パンどうぞ。」
すると、お爺さんはうっすら目を開けてパンを突き出している私に「お嬢ちゃん、食べな」と言うのです。
「食べてないやろ?私は大丈夫なんで。ボランティアで配りに来たんです」と、枕元にパンを置こうとすると「…食べたら余計お腹減るんや……。」と、か細い声で言われました。この言葉を聞いた私は脳裏から離れなくなり、己の未熟さに気付きました。役に立てればと参加したボランティアですが、これじゃただ見せつけに来たみたいなものじゃないか!!
モヤモヤしながら、ボランティア団体の元に戻ると、パンを配り終わった様で会長中心に大人達が片づけをしていました。でも、よく見ると足元にまだパンがあるのです!
そこに、小さな子供を3人抱えた30代前半くらいのお母さんが「パンを下さい」と、会長に声をかけていました。ここで会長が言った台詞が、22年の歳月が過ぎても地震と同様忘れられない衝撃なものでした。
少し恥ずかしそうにパンを下さいと言う母親に会長は、「もうパンは終わりました。これはボランティアに来てる子達の分なんで。」と、言い放ったので気まずそうに母親はその場を立ち去りました。
私は友達を連れてその母親を追いかけ、渡されていたパンを渡しました。その母親は怒った表情すらしてなくて、私達に深々お礼を言うのです…。
あの時私はまだ中学生になった頃で、知識もないので被災者が今本当に求めている事や何をする事で為になるかを自分達で考える能力が欠けていたと思いました。そして、汚い大人の代表を目の前で見た気がしていました。果たしてボランティアであの時のタイミングでパンは正解なのか!お爺さんの言った台詞は予測できなかったか!被災地でボランティアの者が被災者に食べ物を渡さないなんて何しに来たんだ!
きっちり被災地と被災者をわかってやらなかった結果に思います。あの時被災地では極限まで食べ物がない状態だったのにほんの一部にしか渡らないパンを配るのも浅はかだったと思います。それなりの数を用意してるならまだしもすぐ配り切る程度など見せつけと変わりません!あの頃の自分がしっかりした人間だったらと、今でも悔やんでいます。私は一生忘れられないと思います。忘れられないで私がこの先会長の立場でボランティア活動をする事になったら必ずこの体験を活かせられる様にしたいです!
ボランティアをやることで、逆に傷つける様な事が起きた実話を書いてみました。