今思えば

父が壊れたのは“あの日”だったのでは

ないだろうか…と思うことが

ある。


私の父は

早くに実父を亡くした

苦労人だった。


アル中だったけれど

優しい男性だったと、私は

思っている。


私は 両親の結婚12年目

やっと子供を諦めた頃に

ポロっと出来たらしい。


1人目の兄は死産

2人目の兄は産まれたけれど

長くは生きなかった

と、聞いている。


私を身ごもるのも

母の体には無理だったらしいが

なんとか私は無事に生まれた。


小さすぎてヤバかった

と 預けられていた暮らしの中で

母方の祖母が言っていたのを

覚えている💦


幼い頃は

両親が交互に入院していたりして

私は母方の祖母の家か

父方の伯母の家で育っている。


そんな中でも 父は私を

可愛がってくれた。

母だって“子供を産んだ”ことは

誇らしかったはずなんだけど…


お酒 お金 親戚 仕事

元々性格不一致🤣の両親だったので

もめ事はいつも有って


日々 争い事が堪えない中

私は 沢山 歪みながらも 自分では

これが普通 と思ってきた。


だってねぇ

他の世界を見なければ

自分の存在している景色が

“普通”だもの。


ただ 

下戸で酒は一滴も飲めない母は

自分では全く気づかずに

言葉の暴力をふるう人だった。


“言葉の暴力”

最近やっと 口にした言葉なんだけど。

たぶん この言葉

しかないんじゃないかと

思っている。


私は、両親の真ん中にいる

“コウモリ🦇”だった。

どちらにも良いお顔を見せて

バランスを取るお役目。

それが私と思っていた。


自分の居場所を守るのに

必死だったけれど。

常に自分の事は

二の次 三の次

後まわしで生きる人になっていた。


その日は 確か 私から

父を映画に 誘った。


少し大人になって

お金が稼げるようになると

たまに 私は

父母どちらかを誘って

出掛けて愚痴?を聞くタイミングを

作っていた。


今書いてると それも

おかしな“家族”なんだけど💦


映画は父と一緒に観ることが

多かったし。

出資者の私が主導権を持って

出掛けていたから。


その日の映画は二本立てだった。


ジブリ作品の『となりのトトロ』

そして『火垂るの墓』


父は終戦時に思春期の少年だった。


東京大空襲で悲惨な体験をした

母とは違って

父から“戦争”を聞いたことは

無かったと思う。


だから まさか あんなことに

なるなんて。

当時の私には考えが及ばなかったのだ。


あの夜 

酒量はいつもどおりだったが

父は酩酊して


アル中なら経験しているであろう

あらゆる粗相をした。


そりゃ~ぁもう!

母の怒り方は尋常ではなかった

薄い壁なんて無いも同然。

見栄っ張りなくせに

自分を止められないのが母だった。


ちょっと補足するが

母は見た目は美人の部類で

気立ても決して 悪くない。

優しい所も沢山持っている。


だけど あれは 当時で言う

“ヒステリー”ってヤツだった🤣🤣


行き倒れた父を退けて

どーにか布団を敷かないと

3人眠れない ウサギ小屋の家で


怒りが抑えられずに居る母と


「オシッコの臭いって?🤔

どーすりゃ残らないんだろう?」

と必死に考えながら後始末する私。


今考えれば 良策ではないこと

※“イネイブリング”をしていたのだと

思う けれど。

あの時 ああしなければ

生活自体が出来なかったんじゃないかな?

なんて考えている。


たぶん

“火垂るの墓”は 父の

何か奥深いところに隠していた

何かのタガを外したのだろう。


あの夜から

一直線に 連続飲酒の日々が

始まったみたいだったから。


必死に 父なりに 隠しながら


だんだん父は笑わなくなった。


その意味を

ずーっと ずーっと 後の

今現在になって

私は少しずつ 

噛みしめ始めている。


なんで今頃

こんなこと思い出すのかな?

こんなこと考えてるのかな?


世界の戦争を感じる度に

体験していないはずの

“戦争”を想う。


我が身の戦争に

向き合い始めて まだ日も浅い。


アル中は

酒が止まってるだけで

御の字じゃん!

あんたがやってるのは

ツマラナイ 戦争ゴッコニ

スギナインダヨ


なんて思って目を逸らそうと

してるみたいで

自分が気に食わない。


本当は

父のことも 母のことも

私は何にも 知らない。

それが わかっただけ

なのかも知れない。


https://www.a-h-c.jp/article/4972