忘れられる権利とは、「個人が、個人情報などを収集した企業などにそれを消去することを求めることができる権利」という意味です。自分がSNSやブログなどにアップした過去の日記やつぶやき、友人とのメッセージのやりとり、恋人の情報など、自身で管理することができるものもありますが、すべて管理できるというわけではありません。中には自分では削除できず、また情報がもれてネットに拡散してしまうこともあります。一度ネット上にアップされたものは消えることがないものも多く、削除を申請する人が多いのです。
以前からヨーロッパでは、個人情報を管理するための議論が盛んに行われていました。1995年、ヨーロッパは「個人データ保護指令」と呼ばれるルールを制定しました。これらは当時において、レベルの個人情報保護を約束するものでありましたが、その後の2012年にはデータ保護指令を改定する「データ保護規則案」を提案、2015年に可決しました。このデータ保護規則案にこそ、現在話題となっている忘れられる権利が明記されているのです。
2014年には、EUの欧州司法裁判所がGoogleに対して、個人の名前の検索結果から、個人の過去の事実や個人情報につながるリンクの削除を命じる判決を言いわたしています。その中で、「いわゆる忘れられる権利」という表現があるため、欧州司法裁判所が、データ保護規則17条を先取りする形で「忘れられる権利」を認めたと言われています。しかし、Googleはサイトを管理している者であり、自身が管理するサイトに存在する違法な情報を削除しなければならないと、現行法を適用しただけです。 この判決を受けて、Googleでは、検索結果から個人情報を含むウェブサイトへのリンクの削除を請求することができるフォームを設けて、欧州域内からの請求については対応をしているようです。
また日本では、2014年に東京地方裁判所が、Googleに対して検索結果の削除を命じる仮処分決定を発令した事例がある。これは、日本で初めて検索結果自体の削除を裁判所が命じた事件である。この決定では「忘れられる権利」を認めるといった認定はされていないようですが、日本でも「忘れられる権利」が認められたといった報道もあったようです。しかし、2016年7月に東京高等裁判所では「忘れられる権利」を否定する判断を下しましたという報道もあるようです。
近年の私たちの生活にはSNSがかなり普及してきています。今まで予想もしなかったような新しいことが実現可能になることから、それを楽しむ若者や人々は多いかと思います。しかし、それらを利用するにあたって、いいことばかりではなく、闇も潜んでいることをきちんと知っていなければなりません。自分の発言や情報が公になるという意識を持ったうえで利用しなければならないと思います。
個人的に、現在利用している多くの人がその意識がまだ薄いのではないかという印象を持っています。私も現在ツイッターやインスタグラムなどのSNSを利用していますが、他人の発言を見てみると、プライバシー侵害に関わる内容なのではないかと思ってしまうものが目立つ気がします。一度公にしたものは、流出してしまう可能性があるということ、またプロフィール非公開などの制限をしていても、必ず安全とは言い切れないこと、さらに自分の発言が文章として形に残ってしまう重要性・危険性を私たちは改めて自覚しなければなりません。
もしも、誰かの情報がネット上で公になり、削除を要請し削除できたとしても人々の記憶から消すことはできません。削除を要請する人自身にも責任があることを決して忘れてはいけないと私は考えます。
プライバシー侵害だからといって、何でも削除してほしいと言われても、社会的に必要な情報も手に入らなくなってしまう可能性があります。この「忘れられる権利」を認めるかどうかの判断は難しいと思います。