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PARIS INNOVATION STORY

Paristreeはパリに関わりのあるクリエーターの方々に
お話を伺います。

Vol 2 自分が宇宙そのもの。。。

 

ー映像の撮影と編集の仕事を2011年までメインでされて今のヒーラーのお仕事に出会うきっかけは何だったのですか


Kaoru もともと小さい時からエンパシー能力(感情移入/ 共感能力)が強く霊感 も強くて人の裏表が見えてしまう子だった。 

喋れない時や歩けない時の記憶もある。 

光の存在がよく来てくれ遊んでもらったり一緒にいたりしたことはよく覚えている。 

母親が部屋に入って来ると光の存在の次元とリンクできなくなるようで、現 実に戻されそれがとても嫌でした。

 一人でいると別の次元にリンクできたのでとても幸せでした。

幼稚園にはいってからはとても辛い思いをしました。

 言葉を介してのコミュニケーションが苦手だったのと同時に、

自他の感覚が ごちゃごちゃにキャッチされた感じです。

 

 ー幼稚園から小中高とその自分の感性を持ちながらどうやって学校のシステムの中に入って行ったのですか

 

Kaoru 最初は地球に来たんだというというショックが大きかった。 

見えない世界の方が話し相手になっていました。。
親や家族は 私のことを妙に大人びた子供と怖がってた。 あんまり喋らないのに口を開くと諭してるところがあったらしい。

幼い頃から、ここに何しに来てるのかが思い出せないのが凄く 苦しかった。 

何かをするために生まれてきたのに、 何をするためだったかどうしても思い出せない。 

それがなにかをずっと探していたのが今の仕事につながっている。 

小学生の時はハイヤーセルフのような自分とは別に感じる存在とずっと会話をしていました。 

中学校に入るぐらいには、そろそろここにも馴染まなくてはと思い人間界の友達を作ろうと努力しました。 

そしてそのまま青年反抗期に入り、宇宙の自分が繋がっていた次元と切れ、 

自分が誰でどこから来たのかを完全に忘れた真っ暗闇の世界にすむことになりました。 

当時は、自殺願望がとても強く、生きる喜びは全く見いだすことができませんでした。
社会そのものやシステムに対しての怒りも大きかった。

 

ー自分と社会とのギャプが凄かった。


Kaoru ギャップは凄いし肉体の中に入っているのが窮屈だから走ったり他の子と遊ぶのが苦手 だった。

走ったりジャンプしている時気持ちがそこに行くって思うとそこに行けるんだけど

身体があるから身体を動かさなきゃ行けないって事が分からなかった。


魂だけが飛んで行っちゃて身体 がついていかないとか。。 ジャンプする時に感じるそのギャップがいつも大変だった。

 

 

 "中学時代の13、14歳の時は、死んだらどうなる、意識はどこへ行 く 個人と 宇宙の関係など気がおかしくなるぐらい考えてたという薫さん"

 

 

Kaoru そんな時 ある日答えが来たのね、

自分の中に宇宙がすっぽり入っているのを見せてもらった。

身体の中によく写真で見るような宇宙のイメージ丸ごとをボーンと見せても らって
あっ私死なないんだ、、永遠なんだ、私はもう宇宙なんだ というのがわかったの。

 

ー自分が宇宙そのもの

 

 

Kaoru そう。 身体の中を見せてもらって今度は浮いてる感じ、浮いてるんだけど一体なんだよね、一個の星ではなく宇宙との一体化を見せてもらって体感してそれは それで悟ったというか。。 

でもそこから日常生活は変わらないでしょ、学校があるし、友達とは付き合っ てかなきゃ行けないし両親はいるし制限はあるし社会はあるし。。 

だから制限のある社会に対して反抗心が凄く強かった。 

親とかよりも社会や世界に対しての反抗心だった。 

世の中のシステムを理解できなくて不調和しか社会に対して感じなかった。

 

ー闇から宇宙へその後また社会の不調和を感じていく。


Kaoru その不調和の中で生きて行く、その時にどうしようかと考えた。 

芸術的な要素として絵を描こうと。

制限のある言葉よりも 絵って波動だから 説明しなくてもそのまま伝わるから私の一番いい表 現方法だったと思う。


Kaoru 高校に進学してから絵を描くために美大に進学したかったけど画家への道はみんなに反対 されていた。 

絵に点数をつけられるよりデザイナーの勉強で絵は描いて続けられる。 

デザ イナーだったら一つの職業だし仕事をしてモードの職業を通じてメッセージ も伝えられる。 

そして稼いだお金を社会奉仕活動に使えると思った。

チャリティー活動とか子供のための財団を作ってゆきたい気持ちがあったので。。

 

 

 “その後エスモード2年目の時薫さんはパリへ渡る”

 

Kaoru -日本から出たかった思いはずっとあって。 小さい時から私は外にいかなきゃと思っていたので。

でも職業としてデザイナーの道を選んだ後また自分と向かい合うという絵を 選択したんです。

 

ーその自分と向かい合う事は13歳ごろに経験した宇宙を丸ごと見せられた経験とリンクしますか

 

Kaoru 13歳の頃のあの経験は、その後も社会に真剣に馴染もうとしだして忘 れていたの。
去年中学の同 窓生に行った時 に大人になってこんなことがわかったと友人に話したら もうすでに中学の時に 同じことを言ってたよと友人に言われ人 生を体験してわかった事と13歳の時に人生を経験する前にすでにわかって い たことが同じだったと気付かされた。

 

ー13歳のときに体感し経験したことがまた蘇ったのが2011年ですか


Kaoru それは新しい自分の波動に合ったエネルギーヒーリング習得講座を立 ち上げた2015年によみがえりました。
霊気を始めたのが2007年