<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首

 

第39帖『夕霧(ゆふぎり)』26首

526「山里の あはれをそふる 夕霧に 立ち出でん空も なき心地して」(夕霧)

 (山里の侘しさを募らせる夕霧に、帰って行く気になる空もないという思いでおります)

 ※「夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝するかも 逢わぬ君ゆえ」<『古今6帖』一、霧。五、来れども逢わず>を踏まえて。巻名はこの歌に由来、またこの巻の主人公も夕霧と呼ばれることに。

 ※「夕霧」・・・光源氏と葵の上との子、祖母大宮の許で当の中将の娘雲居の雁と一緒に育てられ、後に花散里が養母に。左大臣にまで昇進。

◆An evening mist―how shall I find my way?― Makes sadder yet a lonely mountain village.

 

527「山賤(やまがき)の 籬(まがき)をこめて 立つ霧も 心そらなる 人はとどめず」(落葉の宮)

 (山里の垣根に立ちこめる霧も、(帰ろうと)気もそぞろな人を引き止めることをいたしません)

 ※「落葉の宮」・・・朱雀帝の第二皇女(女二の宮)、母は一条御息所、柏木の妻となるが、柏木(頭の中将と右大臣の娘四の君との子)の死去後、夕霧(光源氏と葵の上との子)から迫られ夫婦関係を持つことになる。

 ※「籬(まがき)」とは、竹や柴などで目をあらく編んだ垣のこと

◆The mists which enshroud this rustic mountain fence Concern him only who is loathe to go.

 

528「我のみや 憂き世を知れる ためしにて 濡れそふ袖の 名を朽たすべき」(落葉の宮)

 (私だけが、不幸な女の例として、(夫に先立たれた悲しみの上に)濡れ添える袖とのことで(に男女のことで袖を濡らして)評判を落とす(恥をさらさねばならぬ)のでしょうか)

 ※「名をくたす」は、悪い評判をとるの意

◆Weeping and weeping, paraded before the world, The one and only model of haplessness?

 

529「おほかたは 我濡衣(ぬれぎぬ)を 着せずとも 朽ちにし袖の 名やは隠るる」(夕霧)

 (おおよそ、わたしが濡れ衣を着せなくても(あらぬ噂を立てるようなことをしなくても)、廃れた袖の名(柏木とのこと)は隠れもしないことではありませんか)

◆Had I not come inspiring all these tears, The world would not have noticed your misfortunes?

 

530「荻原や 軒端の露に そぼちつつ 八重立つ霧を 分けぞ行くべき」(夕霧)

 (一面の萩の原、その軒端の(萩の)露にしっとり濡れながら、幾重にも立ち込める霧に分け入って帰らねばなりません)

◆Wet by dew-laden reeds beneath your eaves, I now push forth into the eightfold mists?

 

531「分け行かむ 草葉の露を かことにて なほ濡衣を かけむとや思ふ」(落葉の宮)

 (踏み分けて帰りゆく草葉の露(に濡れるということ)を口実にして、なお濡れ衣を掛けようと思われるのでございますか)

 ※どうして私にあらぬ浮き名を負わせようとなさるのですか、の意

◆Because these dewy grasses wet your sleeves I too shall have wet sleeves-is that your meaning?

 

532「魂を つれなき袖に 留めおきて わが心から 惑はるるかな」(夕霧)

 (魂のつれない袖に置いてきて、我が心ながら迷っているのです)

◆My heart is there in the sleeve of an unkind lady, Quite without my guidance. I am helpless.

 

533「せくからに 浅さぞ見えむ 山川の 流れての名を つつみ果てずは」(夕霧)

 ((私の心を)堰く(堰き止める)とされれば、考えの浅さが見えるでしょう、山川の流れた(世間に流れた)浮き名を包み隠さないので)

 ※「は」は、誇示の係助詞、終止形で受ける

◆Shallow it is, for all these efforts to dam it. You cannot dam and conceal so famous a flow.

 

534「女郎花 萎るる野辺を いづことて 一夜ばかりの 宿を借りけむ」(御息所、落葉の宮の母)

 (女郎花(落ち葉の君)の萎れている野辺(小野の山荘)を一体どことお思いで、ただ一夜だけ宿を借りられた(屋敷に泊られた)のでしょうか)

 ※「けむ」は、過去の原因推量の助動詞、連用形接続、どして~したのであろうの意

◆You stay a single night. It means no more, This field of sadly fading maiden flowers?

 

535「秋の野の 草の茂みは 分けしかど 仮寝の枕 結びやはせし」(夕霧)

 (秋野の草の茂みを分け入りました(そちらにお伺いはいたしました)けれども、仮寝の枕(かりそめの契り)を結ぶことはしていません)

 ※「しかど」は、過去の助動詞「き」(連用形接続、またはカ変、サ変の未然形接続)の已然形「しか」+逆接の確定条件の接続助詞「ど」

◆Although I made my way through thick autumn grasses, I wove no pillow of grass for vagrant sleep.

 

536「あはれをも いかに知りてか 慰めむ あるや恋しき 亡きや悲しき」(雲居の雁)

 (悲しみも、何が原因と知ってお慰めしましょうか、後に残った方(落葉の宮)への恋しさか、それとも亡くなった方(柏木)への悲しさか)

 ※「雲居の雁」・・・内大臣(後の致仕の大臣、元頭の中将)と右大臣の娘四の君(弘徽殿の女御の妹、朧月夜の姉)との子、祖母三条の大宮(頭の中将と葵の上の母)の許で同じ祖母を持つ夕霧(光源氏と葵の上との子)と一緒に養育される。夕霧の妻となるが、夕霧が柏木の未亡人落葉の宮と夫婦関係を結ぶと別居する。

◆Which emotion demands my sympathy, Grief for the one or longing for the other?

 

537「いづれとか 分きて眺めむ 消えかへる 露も草葉の うへと見ぬ世を」(夕霧)

 (どちらのことか分けて眺めている(悲しみに沈んでいる)のではありません、すぐ消えてしまう露も草葉の上で見ることのない世ですから)

 ※人皆命はかないこの世ですからの意、落葉の君のことをはぐらかした返歌

◆I do not know the answer to your question. The dew does not rest long upon the leaves.

 

538「里遠(とを)み 小野の篠原 わけて来て 我も鹿こそ 声も惜しまね」(夕霧)

 (人里も遠く、小野の篠原を踏み分けて来て、私も鹿のように声も惜しまみません(泣きます))

 ※「ね」は、打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」、特殊な活用(ず)、ざら/ず、ざり/ず/ぬ、ざる/ね、ざれ/ざれ、未然形接続、強調の係助詞「こそ」を受けて已然形

◆I push my way through tangled groves to Ono. Shall my laments, O stag, be softer than yours?

 

539「藤衣 露けき秋の 山人は 鹿の鳴く音に 音をぞ添へつる」(少将)

 (藤衣(喪服)を着て、露深い秋の山里の住人は、鹿の鳴き声に声を添えていました(泣き暮らしております))

 ※「少将」・・・落葉の宮の侍女。御息所の甥である大和守の妹

 ※「つる」は、完了の助動詞「つ」(下二段型活用)の連体形、強調、断定の係助詞「ぞ」を受けて

◆Dew-drenched wisteria robes* in autumn mountains. Sobs to join the baying of the stag.

 

540「見し人の 影澄み果てぬ 池水に ひとり宿守る 秋の夜の月」(夕霧)

 (見掛けた(親しかった)人(柏木)の影が澄み果ててしまった(なくなってしまった)池の水に、ひとりこの家を守る秋の夜の月です)

◆No shadows now of them whom once I knew. Only the autumn moon to guard the waters.

 

541「いつとかは おどろかすべき 明けぬ夜の 夢覚めてとか 言ひしひとこと」(夕霧)

 (いつのこととかを、お知らせしたらよろしいのでしょうか、(いつまでも)明けない夜の夢が覚めましたらとかおっしゃる一言ですので)

 ※「おどろかす」は、(関心を呼び起こすために)便りする、訪れる、びっくりさせるの意

◆Waking from the dream of an endless night You said―and when may I pay my visit?

 

542「朝夕に 泣く音を立つる 小野山は 絶えぬ涙や 音無の滝」(落葉の宮)

 (朝に夕に声を上げて泣いている小野山では、絶えない(尽きもしない)涙が音無しの滝のようでございます)

◆Morning and night, laments sound over Mount Ono And Silent Waterfall―a flow of tears?

 

543「のぼりにし 峰の煙に たちまじり 思はぬ方に なびかずもがな」(落葉の宮)

 (母君が)上っていった峰の煙と一緒になって、思ってもいない方角になびかずにいたいものです)

 ※「もがな」は、願望の終助詞、体言、連用形、一部の動詞に接続、~してほしいの意

◆My choice would be to rise with the smoke from the peaks, Which might perhaps not go in a false direction.

 

544「恋しさの 慰めがたき 形見にて 涙にくもる 玉の筥(はこ)かな」(落葉の宮)

 (恋しさの慰めがたくなるばかりの形見ゆえに涙で曇ってしまう玉の箱だこと)

◆A small bejeweled box, now wet with tears, To help me remember and seek elusive solace.

 

545「怨みわび 胸あきがたき 冬の夜に また鎖しまさる 関の岩門」(夕霧)

 (恨み悲しみ気持ちも晴れにくい冬の夜に、更に錠をなさる関所の岩の門であることよ)

 ※「関の岩門」は、関所に建てた岩のように堅固(けんご)な門のこと

◆My sorrows linger as the winter night. The stony barrier gate is as slow to open.

 

546「馴るる身を 恨むるよりは 松島の 海人の衣に 裁ちやかへまし」(雲居の雁)

 ((長く連れ添って)馴れている(古びている)身を恨むよりは、松島の海人(あま)の衣に裁ち変えましょうか)

 ※「海人(あま)」に「尼」を掛ける。「まし」は、ためらいの意志の助動詞、未然形接続、~しようかしらの意

◆I do not complain that I am used and rejected. Let me but go and join them at Matsushima.

 

547「松島の 海人の濡衣 なれぬとて 脱ぎ替へつてふ 名を立ためやは」(夕霧)

 (松島の海人の濡れ衣に慣れてしまったからといって、脱ぎ変えたという噂を立てるのがよいのか、いや立てないほうがよいでしょう)

 ※私を見限ったという噂を立てないほうが良いのではないか、の意。「てふ」は、連語、「~と言ふ」の変化したもの、中古に入って和歌(新古今和歌集)に多く使用される。

 ※「め」は、推量(~であろう)、適当(~がよい)の助動詞「む」(四段型活用)の已然形、未然形接続、「やは」は、反語の係助詞、~であろうか、いや~ではないの意→係助詞「や」+係助詞「は」の形で、上代の「やも」に代わり、中古に多用、多くは反語の意を表し、疑問の意に用いられたのはごく稀。

◆Robes of Matsushima, soggy and worn, For even them you may be held to account.

 

548「契りあれや 君を心に とどめおきて あはれと思ふ 恨めしと聞く」(致仕大臣、頭の中将)

 (ご縁があったからでしょうか、あなたのことを気になって、哀れとも思い、残念で悲しいとも聞いております)

◆A bond from another life yet holds us together? Fond thoughts I have, disquieting reports.

 

549「何ゆゑか 世に数ならぬ 身ひとつを 憂しとも思ひ かなしとも聞く」(落葉の宮)

 (どうしたわけなのでございましょうか、この世に数にもならない身を、恨めしいとお思いになり、悲しいともお聞きになるとは)

◆Disquieting reports, resentful thoughts― Of one who does not matter in the least?

 

550「数ならば 身に知られまし 世の憂さを 人のためにも 濡らす袖かな」(籐典侍)

 (もし数に入る(世間並みの)女でしたら、わが身のこととして知ることができましょうに、世の煩わしさ(夫婦仲)を人(あなたさま)のためにも(涙で)濡らす袖なのでございます)

 ※「籐典侍(とうのないしのすけ)」・・・惟光の娘、夕霧の側室、子供が三人、三君、二郎君は花散里、六君は落葉の宮の許に引き取られる

「まし」は、反実仮想の助動詞、未然形接続、もし~でしたら~でしょうに、の意

◆The gloom I would know were I among those who matter I see from afar. I weep in sympathy.

 

551「人の世の 憂きをあはれと 見しかども 身にかへむとは 思はざりしを」(雲居の雁)

 (人の世の煩わしさ(夫婦仲)を気の毒に見て思ったことはありますけれども、わが身に替えるとは思いませんでした)

◆Many unhappy marriages I have seen, And never felt them as I feel my own.