この編成は、クハ201-36を含む4+6の分割編成で、
1号車…クハ200-37
2号車…モハ200-81
3号車…モハ201-81
4号車…モハ200-80
5号車…モハ201-80
6号車…クハ201-37
7号車…クハ200-36
8号車…モハ200-79
9号車…モハ201-79
10号車…クハ201-36
でした。 今現在の編成とは異なっています。
1982/8/10に川重で製造されました。
落成時は、カナリアイエロー(黄色5号)で西カノ所属でした。
1985年には、西ミツと代わり、1987年にJR移管のため東日本所属となり、東ミツとなり、1998年には現在の総武緩行線E231系と同様に八ミツとなりました。
その時は、ミツ4編成と名乗り、活躍を続けました。
そして、E231系の導入で、総武線から撤退。
しかし、ミツ4編成は、カナリア時代に色々な所へ疎開されました。
まず、2000年5月25日、三鷹~幕張区(緩行線から快速線へ転入するため)~誉田折り返し~新習志野と、京葉車両センター回送さりました。
この貸出は、検修員や乗務員の機器訓練のための貸出しの模様。
そして、7月1日。今度は京葉車両センターから東京電車区乗務員への現車訓練のため、新習志野~蘇我折り返し~新宿~と通り、品川田町車両センターへ。
ここでも、ケヨ区と同じ訓練を行う。
そして、大井工要検入場までの間東大宮操に疎開留置させるため、訓練終了後の7月26日に品川~東大宮操車場回送された。
これは、大井工場入場まで時間が空く事や、三鷹区にはE231系の配属されてスペースが無いための物である。
そして、9月8日。東大宮操から大井工場のある大崎へ回送。
ここでは、要部検査と京葉線転属整備が行われた。
そして、11月2日。スカイブルー(青22号)となって、大井工場を出場しました。
そして、京葉線では、新たに、K1+51編成と名乗り、活躍を続けました。
京葉線に転属いる編成の中では、一番先に総武線から離れたものの、最後に京葉線に転属いる事になりました。
そして、2008年の5月。
同じ京葉線で活躍していた、Y72(既に廃車)と車両交換を行いました。
この車両交換は、2009年以降で関東に残る、201系のチョッパ制御装置を全て、CH1Bとするため。
車両交換を行い、新しい車両番号は、
1号車…クハ200-103
2号車…モハ200-214
3号車…モハ201-214
4号車…モハ200-213
5号車…モハ201-213
※6号車…クハ201-37
※7号車…クハ200-36
8号車…モハ200-215
9号車…モハ201-215
10号車…クハ201-104
となりました。 中間の6・7号車以外は組替。 パンタグラフは全てPS21。
新しく組換した、1~5・8~10号車は、1983/11/1付けで日車で製造されました。
そして、2008年10月にはデジタル無線の工事を行いました。
2010年1月には、Y51編成の方向幕指令器が故障… 京葉線幕となってしましました。
そして予備扱いに…
そしてE233系の導入が決定し、ケヨ区のスペースが無くなり、K1+Y51編成は習志野運輸区へ。
習志野運輸区とケヨ区わ行ったり来たりの状態でした。
2010年12月の終わり頃からは、営業運転に復帰。方向幕故障の為、83・85の分割運用には入れず、京葉線内の閉じ込め運用のみとなりました。

これが最後の写真でした。 ケヨ入区が最後とか贅沢ですw
そして、3/6にドア破損。 3/11の地震で脱輪。 可哀そう…
一度も運用に入る事無し、廃回数日前にPS35Cに交換され、
2011年5月17日。 遂に廃車の為、長野総合車両センターへ回送されました。
これで、関東に残る201系はK4+Y54編成とクハ201-1の11両に…
もう~終わり~も近いですね。






































