那珂川walker -12ページ目

遠い記憶の那珂川町①

昔懐かしいお店を少しずつ紹介していきたいと思っています。

記念すべき第一回目は

20年以上那珂川町に住んでいるなら絶対にこの話題は出るバズ

ひこばんばん

焼肉バイキングの黎明期昭和の後期に那珂川町に出店。その安さから学生、ファミリーに絶大なる人気を博しました。

店舗の老朽化や安くておいしい焼肉バイキング店の台頭。那珂川町にも飲食店が増加したなど様様な要因があって閉店。

跡地は和食ファミリーレストラン庄屋となっています。

また、ひこばんばんとは少し遅れを取り、平成初期に那珂川町に進出した焼肉バイキングがもう一つあります。

焼肉バイキングレストランタカハラです。

食べ放題学生なんと1000円。

当時は中学生や高校の打ち上げの定番でしたね。

タカハラ閉店後は居酒屋が入ったり、空き店舗の時代も長かったりしましたが、昨年クックチャムのおかずやとして復活しました。

那珂川町の都市化を紐解く

那珂川町は昭和31年南畑村、安徳村、岩戸村が合併し誕生しました。当時の人口は8000人。
純農村ののどかな地域でした。その後も人口はさほど伸びず微増の状態で推移してきました。

しかし福岡市の発展と共に福岡市に近い片縄地区北部から宅地化が進行。片縄バス停付近には小規模ながら商店街も形成されます。

町に転機が訪れるのは昭和48年。新幹線が博多まで延伸される際、博多駅の南8キロに位置する当町に車両基地が建設されます。また、ほぼ同時期に、現在の市街地を司る安徳岩戸土地区画整理事業が実施します。

その結果人口は急増。国勢調査で56.1%の増加。またその次の国勢調査でも43.1%増加。県下一の増加を見せます。

人口は3万人を越えこのペースで行けば市制もすぐかと思われたところで人口の伸びがとまります。

次に転機が訪れるのは平成2年。
那珂川町にはそれまで鉄道がありませんでしたが、新幹線の回送線を利用した博多南線が開通します。

それにより再び人口は急増。4万人を平成5年に突破し、平成12年の国勢調査では4万5000人まで到達しました。

しかし、市街地の過密が進み、人口は鈍化。平成17年では46000人。松原地区に大規模マンションが出来平成22年に住民基本台帳5万人を突破しましたが、国勢調査ではわずか213人足らず49787人。

次の国勢調査で市制を目指す那珂川町。微増と微減を繰り返す中なかなか難しいのではないかと私は思っています。


那珂川町のコミュニティつくりました。