やっと採用されたところは、スタートアップしたばかりと言うより、これから会社を作ろうとしていた社長1人の会社でした。
社長自身は会計士で充分な稼ぎがある人でしたが、お子さんの1人が重度脳性障害を持って生まれ、そのお子さんと同じ境遇の子ども達に未来を作る。と理想に燃えて起業したそうです。
よくわかりませんでしたが、産業廃棄物から電気を作り、電気を売る。設計図片手に色々なところに売り込みにゆき、資金を調達しようとしていたようです。
最初は、麹町の不動産屋さんの事務所に居候でした。
一日中、ヒマな不動産屋さんの社長と二人だけで、ほんとうにヒマでした。
ワープロを与えられ、この文章を打っておいて。と言われた文を打つだけ。起業間もないので、電話もほとんどなりません。
まだワープロの時代。おかげで入力はマニュアル見て独学ですが打てるようになりました。
次は、何屋さんか忘れましたが、やはり社長1人の会社の銀座の事務所に居候。私はその会社の掃除やお茶出しなど手伝っていました。
どこでこんな1人社長を見つけてくるのかわかりませんが、三番目もやはり1人社長の新橋の事務所に居候。
そこで、どうして資金調達できたのかわかりませんが、ある信用金庫から、毎月のように100万円以上の小切手が振り出され、私はその信用金庫に新幹線でその小切手を受け取りにゆきました。
今から思えば変なことばかりですが、そのうち、その事務所に怪しい3人の男たちが出入りするようになります。今でも覚えていますが、1人は昔官房長官だった政治家の秘書だったらしく、元官房長官秘書と言う怪しさ満載の名刺で、自分を先生と言う変なおじさん。
もう2人は絶対に元任侠の世界の人。2人とも片方の手の小指がなく、顔も如何にもその筋の人っぽかった。
ただ、3人共に私には出かけて帰ってくるとお土産を持ってきたり、いつも笑顔ですごく優しくて、怖さは感じませんでした。
あーゆうひとはどうやって稼いでるのかわかりませんでしたが、都や区や市の団地の部屋をたくさんもっているらしく、部屋が必要ならいつでも言ってね。と言われてました。多分、公営団地の部屋を貸して稼いでいたのでしょう。真っ当な事では無いとわかりました。
そんな中、突然、病院経営を始めた社長の言われるがままに使い走りや事務仕事で忙しくなり、それが2年くらい続きますが、やはり資金繰りが厳しかったようで、病院の看護師やスタッフへの給与や入院食の支払いが滞り始め、あっと言う前に病院は閉鎖されます。
私への給与が遅れ始め、私は仕方なくその会社を辞めました。
面白い事はそのあとです。その数年後、突然検察庁から連絡があり、その会社にいた時の話しを聞きたいと言われたのです。検察って、ちゃんと車で自宅に迎えに来て、帰りも送ってくれるんですよ。
驚きましたが、少し前にあの信用金庫で不正事件があったとニュースになっていたので、多分その事だと思いました。検察庁に呼ばれるなんて、人生でそんなにある事では無いと思いますが、どんな事件かは一切、教えてもらえず、働いていた間の事を聞かれただけでした。いつのまにか消えたあの怪しい三人組が関係していた事は間違いありませんが、私も仲間だと思われてる?と怖くなりましたが、正直にあった事をすべて話し、全く関わっていないと判断されたのか、帰され、それから二度と検察庁から連絡はありませんでした。
と言う、珍しい経験をしました。
やっと採用された会社が特異な世界だったとしても、私にとって、その間の給与はありがたいものでした。