夕闇を照らす伝統の光、奉納吹きづつ花火は、地域を数組に分けて、吹きづつの出来栄えを競う奉納花火です。その出来栄えは、時折、失敗したり、火薬の鉄粉を間違って、飛び散る火の粉が多すぎたりと、危険もはらむ奉納行事です。美波町から、山に入り、県道19号線沿いの里山に響く煙火の響きは、延々と続く古式行事を繰り広げます。約1000人くらいの見物人は固唾を呑んで、その行方に目を見張っています。

そして、防火服に刻まれた、吹きづつ花火の文字が、飛び散る花火玉の中で、焼け跡も痛々しく、変わっていく姿に見物人は嬉々として見入っています。

「どしたん、できたん」と掛け声をかけて、10数メートルから降り注ぐ火の雨の中で、飛び跳ねる様は、固唾を吞む見物人の手も汗ばむ風景です。

1組の演目は、数分ですが、長く感じる花火の火花の雨は、乾いた地面を赤く染めて、飛び散る様は、夕立の振り出した田んぼ道を、駆け出すようです。

10組の花火が、出されていますが。演目の間で、人形が踊り、観客を退屈させない演出は、観光バスでおいでた、観光客の方たちも喜んでいました。

今回初めて、観光バスを受け入れた様です。5組くらいが終わると、見物人も少し慣れて、あちらこちらと様々の方向へと移動し始めます。

盛り上がる伝統行事、赤松神社の吹き筒花火は、体育の日の前日夜に開かれます。

小さな里山の過疎も進み、祭りの継承は、限界になっています。

延々と自己利益に終始してきた、この国の行政の在り方は、伝統さえも消し去ろうとしています。

祭りの山車も過去には引く手あまたで有ったのが、今では数人までになり、作られる吹き筒も数が減っているのです。

赤とんぼの飛び交う里山の秋は、限界を静かに迎えつつあります。果たしていつまでこの光景を見ることができるのでしょうか???

板野町にあった、案山子の祭り、屋根コジキは、今回で終わるそうです。

継承者がいなくて、その上、過疎が進み、ノコギリや鎌から、ちくわこんにゃくまで扱っていた萬屋は時代に波に飲まれ、静かに幕を引く現実!!

人のことを構わず、自己利益にばかり目のいく現内閣は、この国を根底から狂わしていることを、國民は知るべきではないだろうか!!!

 

刈り取られた稲の香りを嗅ぎつつ眺めた、秋の夜の宴は、静かに今年の役目を終わり、灯篭の火が消える頃には、狂喜した見物人達も、家路への暗い田舎道を、三々五々と散っていました。   古代ロマンの四国路から

 

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