思えば良くも悪くもこれまで色々とお寺に関わることが多かったような気がしました
学校も美術系なのに、お寺の法人でしたので授業のカリキュラムに「仏教学」が組み込まれてきました。修学旅行も京都奈良で全ての日課が寺院巡りで、坐禅や旅行先でも僧侶の先生に仏様の衣裳を再現して代表者が着てみる、という講習付き。
(その時の自由行動で行った「石舞台古墳」「キトラ古墳」が今でも気になり続けている)
それがきっかけで京都奈良が大好きで、新婚旅行も京都にして歴史あるお宿に泊まりました。
このお宿で六十年お勤めされた仲居、田口八重さんの著書はお客様に対する心遣いや所作を追求した経緯や苦労が綴られていて、日本の「おもてなし」を知ることのできる一冊で読みやすいので年齢も時代も関係なくおすすめできます。
京都の焼き物も好きで、高校の修学旅行で買った清水焼のカップもまだどこかにしまってあるはず
その学校のお寺は都内でも大きく有名な真言宗の寺院でした。
美術で入学したのに、にわかに僧侶になりたいと思った事があるような記憶がうっすらあります。
私の水子供養も真言宗のお寺さんでしたし、たまにブログに書いたことがある一時期加持祈祷をしてもらっていたのも真言宗のお寺さん。
私が以前勤めていた神社ももともとはお寺で神仏分離の時にお寺と神社どちらを選択してもよかったのですが神社を選択した、と聞いています。
そちらは日蓮宗で、この十年近くボランティアで一緒に活動しているのもはじまりもたまたまでしたが日蓮宗のお寺さんでした。
(このお寺さんとはボランティアで知り合う直前に、緩和ケアの病院のボランティアでご一緒する予定になっていてお名前だけ聞いていたのですが、それとは関係のないところでグリーフ・ケアボランティアで紹介されて初対面し、またお嬢様と私の誕生日が一緒だったりなどこれまた不思議な御縁なのです。)
で、お寺に行くと本当に不思議なことによく出会います。お寺で知らない方と出会って「今日は他に行く予定だったのに急遽こちらのお寺に来ることになったのは貴女に会うためだったんだね」と言われた事も思い出せるのは2回ほどですがあります。
おひとりは現役の若い神主さんとそのお母様、もうひとりは大阪から来た霊能力をお持ちの方でどちらの方もその場限り初対面にも拘らず個人的なご厚意で無償で「お祓い」をしてもらっています。
お加持をしてくださった和尚さんには個人的に「お寺の話がある」と呼ばれてご自宅に行き和尚さんの僧侶になった歴史のお話を聞いたりご飯をご馳走になったことも。
他のお寺では「結婚して跡継ぎを」と言われた事(様子がおかしいので、勿論お断りさせてもらいました)
や、すぐ辞めたお寺も様子がおかしくて職員全員に興信所をつけてストーキングされたり、、、
うーん、確かに色々あった
恐らくそんな出来事のもっと前に、何気なく◯◯の母と地域で言われていた占いの方にみてもらったことがあって対面した瞬間に「あなた、私と同じ役目があるね。お坊さんの役目があるよ」と言われて「?」だったのですが、あとから思えばこれだけ色々変わったことがあるというのは少なくとも前世か何かで確かにお寺や修行と関わっていた事があるのかもしれないとだんだん思えてもきます
今年に入ってすぐに原因不明の体調不良、様々なトラブル、霊現象が一度に同時に現れてビックリしたのですが「あ、そうだ。またお加持と不調の家族のための祈願もしてもらいに行こう」と思って御護摩供養の出来るお寺を探して先日行ってきました。(以前のお寺はなくなっていました)
そうしたら実は数少ない大阿闍梨のすごい方であったとだんだんわかってきて、、、
そこで毎日御護摩を焚いてもらって先祖供養もして貰う流れになりました。
その時間に私もお経を読むことが日課になりました。
••••が、ですね。
まず、はじめて2日目くらいでお経を読み終わったら気がついたら涙でボロボロになっていました。涙が出たのはわかったけれどもそんなに沢山出ていることには気付いていなかったのです
それから暫く、般若心経と観音経を読むと喉がつっかえて不快になってくるので「早く出て」と祈っていました
で、私は以前からお線香を焚くと風向きを無視してどの角度にいても自分のほうに煙が向かってくるのですが、生まれて初めて真上に煙が綺麗に昇っているところを見ました
また御護摩の火を焚べたことがわかるようになってきました。なぜかというと、、、
心臓のあたりに火が点いたみたいに熱くなってくるのです。それが背中や腕のほうまでも
気の所為というレベルではなくて、部屋が少し寒くても上着も暖房もいらなくなるくらいに体が熱くなるのです。
どこのお寺か、載せてよいのかな??
山主様は多くの人に来て欲しいと仰有っていたので載せさせてもらいますね
困ったことがあったらぜひ行ってみてください