実はわたしは創作人形が好きです
でも過去、作りはするんですけどそのうち話しかけられるような感じがして、結局いつも人形供養をしてもらって手放します。
流産死産をした方々とグリーフ・ケアの一環として、テディベアもだいぶ作ったのですが今はひとつも残っていません。
どうしても形に残すと「想い」が宿るのです。
人形のようにリアルであればリアルであるほど。
「喜び」の想いのほうは良いのですが、「悲しみ」「淋しさ」のほうは心の整理が出来たら手放すことで新しい自分に生まれ変わります。
そうやって小さな生まれ変わりを何度も繰り返しているのだと思います(ひとがた供養もそうなのかもしれないですね)
だいぶ断捨離がスムーズに出来るようになってきました貧乏癖で勿体無い、勿体無い、と色々取っておきたくなってしまうタチでしたので
「捨てられない」「手放せない」うちは無理しなくてもいいと思います。捨てられない、手放せない、というのは全部じゃないけど「不安」と繋がっていて例えるなら「親離れ」も物で代替しているような感じと似ていると感じるからです。
無理に「親離れ」すると不安でしょう。それと同じで。
「安心」が身に付いてくると自然と色んなものを自然に手放して自然と片付いていくし「無くても大丈夫」になっていきますし。
人形は今でも本当は作りたいとは思うのですが作ったものは自分が最後にはきれいにしていかなくてはいけないので、ついついそれを考えてしまいます。
「物を大切にするキモチ」も大事だし「物をあとに残さず最後まで後始末する」事も「浄化」に関わることなので大事ですよね。
それでなくても今はモノに溢れていますし
溢れているからこそ厳選して「使う分だけ」を持つ習慣を身に着けたいですよね。(と、自分への言い聞かせたりもする)
私は掃除が好きじゃないと思っていたんですが、今家庭の事情で在宅ワークで、とある仕事をはじめる事になりそうですが家にいると外で働いていた時よりも丁寧に暮らす事が出来るようになってきて「あたり前の暮らし」が地味に嬉しかったりします。
子どもと家族みんなで食卓を囲む、味噌汁をちゃんと出汁から取る、など。そんな事もずっと出来なかったから。
家族の不調はそんなところから起きたのかもしれません。本当にごめんね、と思います。
人形に戻りますが、人形を作ることはお預けになっていますが見るほうは好きでネットでもつい見てしまいます
去年くらいに偶然見付けた記事で、この方がたの作品に魅了されてしまっていました
「行ってみたい場所」が。
カフェと人形工房「アイトワ」さんです
今、娘が卒制で球体関節人形を作っています
(頼むから怖くしないでね、とお願いしています)
私も仕事で「節句」の人形や小物に関わっていきそうです。
私は幼い頃から人形にまつわる出来事が本当によくあります。(良くも悪くも)
「人形」は私にとってひとつテーマでもあり、想いが宿るもので責任が持てないのでここ何年もずっと見ないふりをして避けて触れないようにしていましたが、徐々にまた気持ちが向くようになってきましたので、人形展などあれば見に行きたいです