道
とある場所で禅の老師に説法を受けた。
特に所属している宗教があるわけではないが、
当たり前のことを強く言われると心が動く。
老師いわく、
「生き甲斐は、近しい人に尽くしてこそ得られる」
とのこと。
あなたの一番身近な人に尽くしてこそ、
幸せが得られるという。
自分のためだけに生きている人は、
不幸になるという。
私事だが、母親が看護師で、人の生死を毎日見ている。
母親はこういう。
「社長になってお金もちになっても、先生と言われ偉くなっても、
最期に独りになって、看取られないような生き方をしてはダメ」
と。老年期の孤独は、悲惨なものらしい。
このようなことを言われてきたこともあり、
老師の言葉がスッと胸に入った。
老師は言う。
「人間には五欲がある」と。
有名な食欲、睡眠欲、性欲。
その3つの欲が満たされると、財産欲、名誉欲の2つ欲が生まれるという。
「そんなもの追っても何の意味もないよ。最期は破滅だ。」
そう言いきった。
確かに、
食べたい、寝たい、Hなこと考えてたい、お金ほしい、偉くなりたい
に関連することをして、毎日時間が過ぎてしまっている。
老師は言う。
「光陰矢の如し。ただ単に命を長らえても意味がない。
命をとしてやるべきことを見つけなさい。それが道というものだ。」
自分には何ができるのだろう。
人を喜ばすのが好きだ。
とりあえず、実家暮らしではあるが、
家族と一緒には週に1回くらいしか夕食をとらない。
今日は家族のために、暖かいオニオンブレッドと
シャンパン、そしてケーキを用意することにした。
私は凡人なので五欲を認める。
しかし、身近な人を喜ばすためにできることからしてみようと思う。
それが自分なりの道のありかたかなと思う。
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最近、gakoさんがブログをやめた。
万が一、ここにまだ来てしまっていた時のために一言。
gakoさん、あなたは自分が思う以上にすごい人だ。
あなたは、書くことで道が開けるのだと思う。
だから、書き続けてもらいたい。
戦場の…
友達に誘われ、坂本龍一のピアノソロコンサートに行った。
http://wmg.jp/sakamoto/sakamoto_news.html
8000円の席を友人が譲ってくれた。
曲を聴いた。
目頭が熱くなり、まぶたが滲んだ。
受験期のころ、高校と塾、そして自宅を毎日のように電車で移動していた。
そのとき音楽を聴きながら勉強していた。
自宅から片道1時間30分の田舎の高校から、
その真逆に位置する自宅から40分の都心。
そのとき聞いていたのが、坂本龍一の曲だった。
勉強には歌詞のない曲がいいと知ったからだ。
戦場のメリークリスマスを聞きながら英単語を覚えた。
移動中は、静かに揺れながら、曲が体中をめぐった。
心地よい自分だけの空間があった。
そして、大学生活が始まり、もう終わろうとしている。
この4年間、何か形に残せたものは、
はっきりいって何もないかもしれない。
ただ、坂本龍一のコンサートを誘ってくれる友達ができた。
会って数ヶ月しか経っていないし、その人にできたことも少ない。
それでも、何か通ずるものがあったのか、よくしてくれる。
本当にありがたい。
見栄を張ることくらいしかできなかった。
だから、いつも損な役回りを引き受け、
やせ我慢をし続けた。
人を恨むことをしても意味がない。
世界はすでに自分のもの。
会った他人は全て自分の主観で判断される。
同じものが、AにはBに見え、CにはDに見える。
情報も全て自分の都合のいいように記憶に残る。
自分が経験しなくては、そこに世界は存在しないし、
自分が否定すれば、そこで世界は消滅する。
全て、自分の価値観でなりたっている。
昔、「おのれ」という言葉が、1人称と2人称を指したように、
自分は他人であり、他人は自分であるのだ。
そう思うと、自分が人にやってきたことが、
音楽という形で返ってきて、本当にうれしかった。
「戦場のメリークリスマス」を聞いて、胸が熱くなった
この4年間で形に残らないものを得ることができたと確信できた。
それは、出会った人を自分だと思い、大切にする心もち。
わかりやすくいえば、思いやり。
「あなたの夢は何ですか?」
そう聞かれたら、どう答えよう。
「身近な人を幸せにすることです」
自分の世界は、グローブでもワールドでもない。
今まで出会った人によって作られている。
その人たちを喜ばすには、どうしたらいいのか。
常に悩んでいくしかないのだろう。
ワーズワース
ワーズワースの詩集をぺらぺらめくっていたら、
いいなぁと思う箇所があったので紹介。
「幼年時代を追想して不死を知る頌」
7
新しき幸福に囲まれし幼児を見よ、
小さき六歳のいとし子を
己が手にて作れる玩具の中に、
母の接吻の襲撃に悩まされ、
父の温かき瞳もて見守れる様子を見よ。
見よ、その足もとに、人生に関する夢想の断片たる
小さな設計図や海図の並べるを。
そは新しく覚えし技術もて自ら作りしもの。
婚礼、或いは祭礼。
哀悼、或いは葬式、
これは今や彼の心を捉え、
彼またこれに合せて歌を作る。
やがて彼は彼の口を、
事務、恋愛、闘争の対話に合せる。
されどまもなく、
これらをなげ捨てて、
新しき喜びと誇りとをもって、
この小役者は他の役割を学ぶに至る。
おりおり「人間のむら気を演ずる舞台」に
人生の行列におけるあらゆる人物、
老い果てし人までも登場させる。
あたかも彼の一生の仕事は、
限りなき模倣なるかのごとく。
とくに、役割を演じ、模倣で終わってしまう人生…というのが、
心を打つわけです。
そういえば、こんな考えがありました。
生まれたものは柔らかく、
死にゆくものは固くなる。
赤ちゃんは柔らかいです。死体は固いです。
若いと柔軟な考えができます。老いると頭が固くなります。
限りなき模倣の先に、死があるというならば、
一体なんのための人生なんでしょうか。
否、人生に意味なんてありません。
